どうもこの人には、後から自分の作品のテーマを語ったり、時には作品で失敗した(スベった)言い訳をする習性があるようだ。一種の言い訳癖とでもいうか。それは前回触れた「ドラえもん」批判のようにパクリをアンチテーゼと言い換えて正当化するような形で発露することもある。
思うに、どうもこの人の中には自分の作品に対するコンプレックスがあるのではないだろうか。元々この人はエロを描きたくなかったそうだが、本宮プロにいた際に本宮ひろ志に、
「江川君、エロは良いぞ。エロは儲かるぞー」
と言われたとかいう話を聞いたことがある。その教え(?)に従ってエロを描くことが何らいけないわけではない。ただ、この人にはそうやってエロを描きながらも、エロを描いている自分に対してどこかで劣等感を抱えているのではないか。その根底には、「自分は賢い」という自尊心、もしくは「自分は賢いと人から思われたい」という自己顕示欲が、それも人よりも強いそれらがあるのではないか。
そして、それが端的に表れているのが、奥付の著者略歴である。『GOLDEN BOY』や『東京大学物語』、『日露戦争物語』には同じ文章がついている。
デビュー以来、表層に見られる軽薄な作風の中に、
誰にもわからない深いテーマ性が隠されている漫画を描き続けているが、
全然評価されない、本人だけががんばっている漫画家である。
本来なら一種のギャグと捉えるべきなのだろうが、こんな言い訳がましいコメントをギャグでごまかしながら言ってしまうこと自体、その裏に隠された「俺の作品は実は重厚なテーマを扱っているんだ! ただのエロじゃないんだよー! 俺は賢いんだ!!」という身も蓋もない心の叫びが透けて見えてしまい鼻白む思いがする。
自分は賢い、賢くありたい、人に賢いと思われたい、というコンプレックスには私も共感を覚える。私だって賢くありたいし、人から賢いと思われたい。同時に居酒屋で猥談だのをするのも結構好きだ(笑)。
そうだとしても、やっぱりエロ話をしているときの自分を客観的に「口角泡を飛ばして大まじめにエロ話をするアホキャラ」と見るくらいの相対化は内心でしているつもりだ。間違っても、セックスしながら「性を隠すのは何故だ!」とUFOの陰謀史観ばりの若気の至りとしか思えない稚拙なご意見を言わせておきながら(ゴールデンボーイ)、TVタックルで田嶋陽子に何故セックスシーンを描くのかを問われた際にも「セックスしながら小難しい理屈を語ること自体が滑稽なんですよ」とギャグに逃げて主張をはぐらかしたりはしない。
要するに中途半端なのである。ギャグとしても中途半端だし(少なくとも十何ページも引っ張る大ネタではないだろう。本気でギャグとして描いたのならそれこそ彼のギャグセンスを疑う)、テレをごまかすためにギャグの形で発信したとはいえ(それ自体は何ら悪いことではない)そこに自分の主張を込めたのなら、後でギャグに逃げるようなみっともない真似をするのも中途半端である。少なくともテレビや雑誌など他の媒体で自分の作品の隠されたテーマ性を真面目に訴えたいのなら、自分でその主張を相対化するようなことは口が裂けても言うべきではない。それとも、江川達也に「表現者としての矜持」のようなものを求める私の方が間違っているのだろうか。
ちなみに、漫画家の島本和彦は江川達也の真逆である。島本は屁理屈をこねくりすぎて一回転したような「超・理屈」を読者に真っ向から叩き付けることで、ギャグとしても成立して、なおかつ読者に確実に熱いメッセージを伝えるのに成功している。
この後出しジャンケン的な言い訳は、最近でも同じである。
「江川式勉強法」で、戦争をテーマに一本描いた最後に『日露戦争物語』について、
日露戦争以降愛国心や情報が歪められてきた。それがどのような過程で歪められてきたかを『日露戦争物語』で描いている。だから『日露戦争「物語」』としているのだ!
というようなことを言っていた。確かに、日露戦争までの日本は勝ち戦と急成長を遂げた優秀な民族だったが、昭和になって魔法がかかったようにダメになった、という見方もある。これがいわゆる「司馬史観」という奴で、作家・司馬遼太郎氏の歴史観として有名である。
それはそれでいっこうに構わないのだが、私が疑問に思うのは、では何故、江川達也はその司馬遼太郎の『坂の上の雲』を参考文献に挙げないのだろうか?
これに対して「読んでいない」という釈明はいかにも苦しい。明治以降のナショナリズムを語る上で、特に神話化された日清・日露戦争を扱う上で、『坂の上の雲』は避けては通れぬ作品であるし、まして「勉強」をテーマに何本も漫画作品を描いてきたお勉強好きの江川達也が「坂の上の雲」を読んでいないなど通常考えられない。それに、話の筋自体が『坂の上の雲』そのまんまなのである。
もし日露戦争の「物語」に批判的検討を加えたいのなら、司馬遼太郎の名をはっきり提示した上で「『坂の上の雲』に象徴される司馬史観の限界を同じテーマを扱って証明してみせる!」と真っ向勝負を挑むべきである。「誰にもわからない深いテーマ性」なんてそれこそ誰にもわからなくて当然だし、あいにく読者の方にはそれをわざわざ発掘する義理も熱意も持ち合わせていないのが実情だろう。日露戦争「物語」が幻想なら、江川達也の漫画に隠されたテーマが深く読み解くに値する価値のあるものだというのも江川自身の甘い幻想に過ぎない。
恐らくこの人は小利口な秀才タイプなのだ。
「自分の賢さを世間に認知させたい」という自己顕示欲は同時に「アホと思われたくない」「間違ったことを言って批判されたくない」という風にも発露する。だからこそ、理屈をあれこれ込めながらも、同時にギャグという逃げ道も用意するという覚悟のないスタンスを取らざるを得ないのだ。そして残念ながら、その姿がいかに卑怯でみっともないかというところまでは自己を相対化できないようだ。
エロを描くにしろ、モチーフをぱくるにせよ、表現者として大事なものは「覚悟」と「ある種の開き直り」である。批判も揶揄をも飲み込む器の大きさを備えたい、と江川達也を見てしみじみ思った。
(了)
《関連記事》
・ダメなもの「漫画家・江川達也」(1)
・ダメなもの「漫画家・江川達也」(2)
・ダメなもの「漫画家・江川達也」(3)
《参考文献》
・江川達也『GOLDEN BOY』(集英社)
〃『東京大学物語』(小学館)
〃『日露戦争物語』(〃)
・司馬遼太郎『坂の上の雲』(文春文庫)


オススメの品々
誰にもわからない深いテーマ性が隠されている漫画を描き続けているが、
全然評価されない、本人だけががんばっている漫画家である。<
事実を言って何が悪いのだろう?
あなたの文章と江川達也氏の作品を読み比べたとき、あなたの論理性の低さに・・・
あなたが本気で自分の文章力を高めたいと思っていらっしゃるなら、江川氏の作品のほか、夏目漱石や森鴎外の作品をしっかり読み、その作品の真に意味するところを読み解く「努力」が必要なのではないでしょうか。
これだけでは少し不親切なので具体的にあなたのどこが間違っているか少しだけ指摘しましょう。
> 恐らくこの人は小利口な秀才タイプなのだ。
「自分の賢さを世間に認知させたい」という自己顕示欲は同時に「アホと思われたくない」「間違ったことを言って批判されたくない」という風にも発露する。だからこそ、理屈をあれこれ込めながらも、同時にギャグという逃げ道も用意するという覚悟のないスタンスを取らざるを得ないのだ。そして残念ながら、その姿がいかに卑怯でみっともないかというところまでは自己を相対化できないようだ。<
> エロを描くにしろ、モチーフをぱくるにせよ、表現者として大事なものは「覚悟」と「ある種の開き直り」である。批判も揶揄をも飲み込む器の大きさを備えたい、と江川達也を見てしみじみ思った。<
私は心理学に精通しているのですが、この文章はまさにコンプレックスの表れです。自分がやりたくても出来ないから、ここまで言うのです。何故か?それはあなたが自分で考えて見なさい。心理学を学びなさい。自分で努力してください。
私の論理性が低いとのご指摘、真摯に受け止めて今後の課題とさせていただきます。夏目漱石や森鴎外も時間があるときにじっくり読みたいと思います。
ちなみに、この江川達也論(?)につきましても、いずれ改稿したいと思っており、その際には改めて江川氏の主著を読み込もうと考えております。
>> 恐らくこの人は小利口な秀才タイプなのだ。
「自分の賢さを世間に認知させたい」という自己顕示欲は同時に「アホと思われたくない」「間違ったことを言って批判されたくない」という風にも発露する。だからこそ、理屈をあれこれ込めながらも、同時にギャグという逃げ道も用意するという覚悟のないスタンスを取らざるを得ないのだ。そして残念ながら、その姿がいかに卑怯でみっともないかというところまでは自己を相対化できないようだ。<<
>> エロを描くにしろ、モチーフをぱくるにせよ、表現者として大事なものは「覚悟」と「ある種の開き直り」である。批判も揶揄をも飲み込む器の大きさを備えたい、と江川達也を見てしみじみ思った。<<
> 私は心理学に精通しているのですが、この文章はまさにコンプレックスの表れです。自分がやりたくても出来ないから、ここまで言うのです。何故か?それはあなたが自分で考えて見なさい。心理学を学びなさい。自分で努力してください。<
本文中に「自分は賢い、賢くありたい、人に賢いと思われたい、というコンプレックスには私も共感を覚える。私だって賢くありたいし、人から賢いと思われたい」と書いております通り、こういうコンプレックスを抱えているのを何ら否定するものではありません。
ただ、「自分がやりたくてもできないから、ここまで言う」というのは半分あたっているとも思いますが、ちょっと違う気もします。
確かに、この文章を書く動機の中に、江川氏に自分の嫌なところが投影されて見えるという近親憎悪のような感情があったことは否定できません。私自身、気は弱い方ですし、断定的にモノを言うよりは逃げ道を用意しておいた方が楽だな、という誘惑にはいつも駆られます。そういう意味では、江川氏への批判は自分がやりたくてもなかなかできていないことではあります。
しかし、この文章に限らずそうなんですが、何某かの批判をアップする際は、その批判が己に返ってこないよう、言い換えれば自分を棚に上げた物言いだけはしないようにしよう、とは常に思い続けています。それはこのブログを始めるときから自分に課しているつもりです。
大上段の批判(?)をアップすることはある種の表明にもなります。大風呂敷かも知れませんが、こういうことを表明しておけば、それに反した場合「だっしーだって自分の批判通りのことしてるじゃないか」と自分にも批判が返ってきます。つまり、私にとって批判文は自らを律するものでもあるわけです。
>> >デビュー以来、表層に見られる軽薄な作風の中に、
誰にもわからない深いテーマ性が隠されている漫画を描き続けているが、
全然評価されない、本人だけががんばっている漫画家である。<<
> 事実を言って何が悪いのだろう?<
これが事実かどうかについて私には知るよしもありませんが、私は本文中で事実を言うことの善し悪しを言ったつもりはありません。ただ、こういうことを書くこと自体恥ずかしいことでは? というつもりで書きました。自分で「頑張ってる」とか言うのは見てる方が恥ずかしくないですか?
長文になりましたが、この辺で。
(中略)
これだけでは少し不親切なので具体的にあなたのどこが間違っているか少しだけ指摘しましょう。
(中略)
私は心理学に精通しているのですが、この文章はまさにコンプレックスの表れです。自分がやりたくても出来ないから、ここまで言うのです。何故か?それはあなたが自分で考えて見なさい。心理学を学びなさい。自分で努力してください。<<
結局だっしーさんの記事のどこが間違っているかわからなかった自分は、心理学的にみると論理的思考力の著しい欠如と考えて正しいのでしょうか。あるいは自家撞着症候群かもしれない。(((( ;゚д゚)))ガクガクブルブル
関係ないですがバガボンドが5月から連載開始されるらしいです。ヽ(´ー`)ノワーイ
> 結局だっしーさんの記事のどこが間違っているかわからなかった自分は、心理学的にみると論理的思考力の著しい欠如と考えて正しいのでしょうか。<
そんなことはありません。それが一般的なレベルだと思います。社会生活になんら支障は無いです。
私はだっしーさんがなかなかいい文章をお書きになり、自ら向上を願っておられたようなので、僭越ながら申し上げたのです。
だっしーさん時々拝見させてもらっています。がんばってください^^
>> 事実を言って何が悪いのだろう?<<
> これが事実かどうかについて私には知るよしもありませんが、私は本文中で事実を言うことの善し悪しを言ったつもりはありません。ただ、こういうことを書くこと自体恥ずかしいことでは? というつもりで書きました。自分で「頑張ってる」とか言うのは見てる方が恥ずかしくないですか?<
私にはただの冗談に取れました。本当にあなたの言うような理由でそんなことを書いていたとしたら、面白いですね笑
しかし、江川氏がそのようなことを冗談でもなく書くとは到底思えないのです。江川氏は「社会的立場を優先させ、非合理的に生きている現代人+社会的立場を捨てるまたは気にせず、ときにはうまく使う道具だとはっきり認識して、合理的に生きている人」を書きたかったのだと思ったからです。
江川氏の主張からすると、
> 「自分の賢さを世間に認知させたい」という自己顕示欲は同時に「アホと思われたくない」「間違ったことを言って批判されたくない」という風にも発露する。<
このようなことをするような人間ではないように思われるのですが?しかし、人間の多面性から、多重人格的性格形成があることもまた否定できません。確かにその可能性はあります。しかし、その可能性はかなり低いでしょう。
エロ描写などは、娯楽の意味でしょう。もちろん金儲けのためもあってやってるのでしょう。しかし主張とまぜこぜにする必要はないでしょうが、混ぜてもなんら問題は無いと思います。万人に読まれやすいという思惑もあったかもしれません。もう少し考察すれば、作品中の「合理的に生きている人」らしき人はその意味どおりの人ではないということが解りますが、それも江川氏の思惑だと私は解釈しています。
「バガボンド」十巻くらいまでは持ってましたが、全部売ってしまいました。あと、立ち読みなんかでフォローはしていましたが十六巻で挫折しました。「蒼天航路」の方の諸葛孔明は見事な(?)処理をしたように思いましたが、「バガボンド」の小次郎は…大丈夫なんだろうか、と不安に思ってしまいます(頭の中ではかわぐちかいじ「沈黙の艦隊」や浦沢直樹「MONSTER」的なやっちゃった感爆発ラストが頭を過ぎりました)。
コミックス奥付の文言については、価値観の差に過ぎないよな気がしてきました。私は、あの文言は読んだとき気恥ずかしくなりましたが、単なる偏見なのかもしれませんね。
江川氏の人格についてはちょっと留保させていただきます。本文中で色々書きましたが、最近では関西ローカルのテレビ番組にまでレギュラー出演されているのを観ていると、江川氏が自分をどう見せようとしているかを考えること自体バカらしくなってきたからです。大急ぎで付け加えるなら、この「バカらしくなってきた」というのは決して否定的な意味はありません。作者の人格を推し量るなら作品に秘められた書き手の意図を読み解くよりも、まんまブラウン管の向こうでしゃべっている江川氏を観た方が手っ取り早いからです。個人的には、江川氏はバラエティーでニヤニヤしているよりは「テレビタックル」などの討論系の番組で議論している方が好きなんで…ってなんかどんどん関係ない話になってきましたね。全然返事になっていないかも知れませんが、スミマセン。
> 私はだっしーさんがなかなかいい文章をお書きになり、自ら向上を願っておられたようなので、僭越ながら申し上げたのです。
だっしーさん時々拝見させてもらっています。がんばってください^^<
ありがとうございます。まだまだ未熟な点もあるかとは存じますが、これからも頑張って参りますのでどうぞご笑覧下さいませ。