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2005年04月27日

深見友紀子のコメントを拝読して

 以前書いたパートナー解消訴訟(文末の関連記事を参照のこと)について、原告・深見友紀子のサイトでまた取り上げられていた(掲示板で教えてくださりありがとうございました、よしさん)。
 拙文の至らなさ故か、私の意図するところが深見に伝わっていないようなので、繰り返しになるが拙文の解題を交えながらコメントへの回答をすることにする。

「事実の誤認」は誤認(もしくは誤解)

 このサイトの著者Dさん*は、私をジェンダーフリーの旗手と決め付け、相手の男性の親が孫を欲しがった、長男には病気か障害がある、相手の男性が長男を施設に入れようとしたのにはよほどの理由があるのだろうとしていますが、そのすべてが事実ではありません。こうした事実の誤認は、…(以下略・強調引用者)

* 文中のDさんというのはだっしーのこと。

 太字の箇所は正確性を欠く。私はダメなもの「パートナー関係」(2)において以下のように書いた。

 判決には詳細な事情が記載されていないので憶測になるが、第一子(長女)について多少好意的に推測するなら、Y男の親が「孫が欲しい」と切望していたのかも知れない。Y男の親が出産後、X女に対し出産費用等として約650万円も支払っていることや、長女がY男の母の手で養育されていること、Y男とA女の結婚後長男はY男に引き取られているのに対し、長女はY男の母と二人暮らしを続けていることから私はそう考えた
 長男の方については詳しい事情が書いていないのでよくわからない。生まれてからY男がA女と結婚するまで施設で養育されていたというのは一見すると驚いてしまうが、一卵性双生児一方が死亡するという異常出産ということなどから考えると、ひょっとしたら長男の方は病気なり障害なりを抱えていたのかも知れない我が子を施設で養育すること自体、よほどの理由があったと思いたい。(強調引用者)

 この箇所については、判決文から伺える断片的な事実から憶測で書いたので必要以上にそれを明示する形を取ったつもりである。それを「事実の誤認」と言われても困ってしまうわけで、不明瞭な書き方であったならそれを謝り、ここに憶測で書いたことを改めて明記しておく。そして、こういう憶測をなぜ書いたかについては次項で説明する。

想像することと、それを書くかどうかの判断は別のもの

「こうした事実の誤認は、」以下について。

こうした事実の誤認は、判断材料が少ないためというよりもむしろ、経験の浅さあるいは狭さや、常識に囚われてしまう素直な性格に起因していると思います。社会を見抜いていく想像力が欠如しているのです。このことは2チャンネルに書き込む若者にも顕著な傾向ですが、Dさんは"法曹の卵"なのですから、もっと社会に目を開き、想像力を働かせる必要があるのではないでしょうか。

 これについては水曜小論:「私は代理母か」への回答で書いたことを敷衍しておく。

 深見が「事実の誤認」という私の憶測についてであるが、私は子供が当初の約束である父親の手によって養育されていないことにつき、真っ先に「母親ははなっから育てる気なんて無いし、父親の方は口だけでよう育てなかった。子供が宙ぶらりんになったのかな?」と想像した。

 でも、そう思ったからといってすぐさまそう書くわけではない。たとえそうだったとしても、言葉を選ぶ、ということはいくらでもあるはずだ(例えば、身内を誘拐された家族の人に「客観的に考えればもう殺されてますね」何て言わないだとか)。
 そういう意味で私は「常識に囚われてしまう素直な性格」なのだろう。「この子たち、ええ加減な両親に愛されるどころか迷惑がられた存在だった」なんて失礼なこと書けるわけがない、というのが常識だと私は思うからである。だからこそ、子供たちの養育について「のっぴきならない事情があったのでは?」といろいろ想像して書いたのだ。

子供が良いと言えば全てが正当化されるのか?

 続いて深見はこう書いている。

 Dさんは、私がコラムを書き進めるにつれ、…(中略)…と同サイトで謝罪しています。ここでもし、私の娘が「他人がいろいろと想像するのは勝手だけど、アタシは何も傷ついていない」と反論すれば、「子どもが不憫」と言ったことについても謝罪するのでしょうか。

 これについては今のところ謝罪も撤回もするつもりはない。娘さんが傷ついたかどうかという結果が、娘さんの心を深く傷つけかねない危険な発言・行為までをも正当化するとは思わないからだ。比喩的に言えば、娘さんの心を傷つけるという既遂結果は生じなかったが、既遂結果が生じなかったことが未遂の責任までをも正当化するわけではない(し、もっと言えば、殺意を以て刃物で人を襲えば相手が死ななくても殺人未遂罪にはなる)、ということである。
 ここで重要なのは深見が裁判上・ネット上で公開している、以下のような見解・意見が一般的に見て子供の心を傷つけかねない蓋然性を有しているかどうかである。

 社会に出るのがとても遅れたため、子どもをもつことなど考えてもいなかった私に「自分が育てるから子どもが欲しい」と○○は執拗に頼んだのです。その執拗さは尋常ではありませんでした。度重なる話し合いの結果、「出産・養育費用は○○が負担、その代わり、○○は私の出産後の生活の面倒は一切みない」という条件で私は子どもを産むことにしました

 自分で育てるという約束はどうしたの、と問い詰めたことも何度かありましたが、せっかく産んだ子どもの生存が脅かされているわけでもないですし、私は自分で育てるのならば産んでいませんでしたから、放っておくことにしました
 (いずれも「コラム 6.私は代理母か」より。強調引用者)

 専門で勉強したわけではないが、実の親が子供の存在を望んでいない(いなかった)という発言は十分心理的なダメージとなりうる、というのを心理学・精神分析学の本などで度々読んだことがある。昨今DVで注目される育児放棄(ネグレクト)などはその際たるものであるはずだ。育児放棄ほど直接かつ悪質ではないにせよ、上記表現や、養育を放棄する旨の公正証書を巻くことは、本質的にそれに類する行為である。
 子供にとって自分を必要としてくれる人がいることと言うのは精神的にプラスになるし、その逆はマイナスになる。これはイデオロギーどうこうの問題ではない。深見のやっている行為は社会通念上子供の虐待に類すべき行為であることを、少なくとも非難に値する行為であることを指摘しているだけである。

 では逆にお訊きしたいのだが、娘さんが良いと言えば親は何をしても良いのか? 娘さんの心が傷つかなければあらゆる行為は正当化されるのか?
 そんなものは浅薄な小理屈であり、冗談ではない、というのが私見である。

* あと、もし娘さんが傷つかなかったとしても、それは母を慕う情が無意識的に母を正当化し、私を否定する結果を生じさせるだけかも知れないことも言い添えておく。
 人間辛い事実からは目を背けたがるものである。母親に自分が必要とされていなかった、またそれを公然と表明している事実など、通常であれば辛く苦しく認めがたいものである。だからこそ、意識的にせよ無意識的にせよ、その事実を拒絶し考えないようにすることだって十分考えられる。
 考えられる心理の一パターンをここに指摘しておく。

子供を中心とする近代家族主義?

  Dさんの主張は、見ず知らずの子どもに対して「不憫である」「被害者」、親に対して「子を犠牲にしている」「親のエゴ」「残酷」と言っていることからもわかるように、子どもを中心とする近代家族主義に基づくものです。当人たちでさえ"??主義"という確固としたものであることを気づかないぐらい、広く浸透し、日常化した主義であり、戦後になって登場した比較的新しい主義です。

 こんなこと一々言っても仕方ないのかも知れないが、私が「不憫である」だとか「被害者」だとか言ったのは、究極的には、前項で指摘した母親からのネグレクトや「俺が育てる」という約束を果たさないいい加減な父親、そしてその二人が法廷で泥仕合をする、これら一連のことを指しているつもりである。パートナー関係だのが破綻して、自分たちの出生にまつわる事情までが最高裁判例として広く公開される、しかもあろうことか母親は自分に対してひどいことを言っている。これを「不憫」「被害者」と言わずして何と表現すればいいのであろうか。

 この近代家族主義とは、子どもを持ち出して親の自由な選択を制限してこそ再生産されるイデオロギーです。「三歳神話」に代表されるように、「母」の役割が他のものと取り替えられるのを非常に嫌い、子どもを他の人に預けたり、保育所に頼ったりするのを基本的に嫌悪します。彼らは、おそらく産んで育てていない私の行動など犯罪ぐらいにしか思えないでしょう。

 一文目について。
 確かに近代家族主義自体は最近できたイデオロギーである。なぜなら、親の自由な選択自体が、もっと言えば個人の自由という概念自体が、近代市民革命を経て誕生した歴史的に新しい「イデオロギー」に過ぎないのであるからだ。
 あと、子供を持ちだして親の自由な選択を制限し、子育てをさせるのは、およそ人類の歴史上かなりの普遍性を有するイデオロギー(というよりも社会システム)である。ちなみにこれは、人間が他の動物と違って育児本能が壊れているから生み出された文化・文明(共同幻想)だというのが私見であり、時代に応じて色々バリエーションはあるのだろうが、基本的に子供を養育することを親をはじめとする大人に強制するという根本は変わってないように思う。

 二文目について。
 近代家族主義イデオロギーがそういうものなのかは措くとしても、私はここで書かれているようなことをそもそも想定していないので、「あっそう。で?」としか言えない。
 ちなみに私は保育所に預けられていたし、小学校に上がってからも授業が終わると学童保育に行っていた。私はそれらを嫌悪する気も、仕事を始めた母に(子供の頃にワガママを言うことはあっても)それを否定する気も全くない。

 三文目について。
 保育所や他の人に子供を預ける親と、はなっから養育を放棄して一切タッチしないと公正証書まで巻く親を同一視するわけにはいかないだろう。犯罪者だとは思わないが、ろくでもない親だとは思う。

言い繕うより先に自分のプラス面・マイナス面を直視すべき

 続く文中における、少子化云々についての記述は私の論旨と関係ないので触れない。近代家族主義者という概念も前述の通り私に向けられた批判としては失当であるから無視する。 

 近代家族主義者の視点は1つの作為的な視点に過ぎません。ちょっと想像力を働かせ、別の視点に立てれば、私は女性が産む平均以上の子どもを産み、専門的知識により多くの子どもたちに音楽を教え、今までにしてきた経験から、若い女子大生たちの将来を応援している、非常に社会貢献度が高い女とみなすこともできます。

 良いように言えばこう言えなくもないだろう。が、これだって一つの作為的な視点に過ぎない。あけすけに言えば、自分に都合の良い箇所をつぎはぎしただけではないか。そういう一面も否定しはしないが、私が再三言っているのはその一方で子供たちにしたこと(再三書いているのでもう繰り返さない)にも思いを馳せろ、ということである。

私の批判は「卑怯である」という一点へ収束する

 色々書いてきたが、結局私が言いたいことは、頼まれて子どもを産んだだけで、仕事の邪魔扱いまでした深見が、後になって「子供がいるのに」と子供を持ちだすのは卑怯だということである。
 はっきり言う。出産の大変さだの仕事の支障だのと色々言っているが、そんなものは全部ひっくるめて深見と元パートナーとの間の都合であって、元パートナーのために産んだと言うことを強調されればされるほど「ここまであの男に尽くしてやったのに」と恩着せがましく言っているようにしか聞こえなくなってくる。これでは、男の歓心を買うための出産請負と評価されても文句は言えまい(もしこの通りで、プレゼント感覚で子供を産んでやったのなら外道の仕業である)。
 前にも言ったが、養育義務を負わない旨確認する公正証書まで巻き、男に乞われて子どもを産んでやっただけの人間は出産を請け負っただけの「代理母」である。男に貢いだモノとして子供の存在を主張したのならともかく、パートナー関係が崩壊したときに「子はかすがい」とばかりに親面して持ち出す資格が深見にあるとは到底評価できない。

 都合の良いところだけ子供を利用するあり方も含め、徹頭徹尾自分の都合だけで、自分が周り(特に子供たち)に与えた影響については無頓着というのは単なるワガママであり、その精神的な態度は卑怯と断ぜざるを得ない。
 近代家族主義だのイデオロギーだの他者を攻撃するのも結構であるが、まずはご自分の半生を良いところも悪いところも全て虚心坦懐に見直されるべきだと思う。
(了)

《追記》
 長々と書いてきたが、どうも同じ事の繰り返し・言い直しになっているように思われる。なので、有効な反論がなされるまで沈黙を守ることにする。従って、あとは基本的に読者の評価にお任せする形になるが、議論の判定や評価、その他私の文章の拙さなど何でも構わないので、忌憚のないご意見を是非是非お聞かせ願えたらと思う。

《関連記事》
ダメなもの「パートナー関係」(1)
ダメなもの「パートナー関係」(2)
水曜小論:「私は代理母か」への回答
時代錯誤なんでしょうかね、私?
・深見友紀子のコメントを拝読して

《リンク先》
・深見友紀子「「ダメなものはダメ」日記 ダメなもの「パートナー関係」(2)に対する私のコメント
   『深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

posted by だっしー at 10:00| 大阪 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | パートナー解消訴訟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ジェンダーフリーとかフェミニズムとかいうやつには「性的唯幻論序説 岸田秀」が必読ですねえ。
深見さんには「嫉妬の時代」の「積木くずしが物語る親子関係」を読んでほしいものです。子供がかわいそうです。
Posted by がんこ at 2005年05月01日 18:13
 コメントありがとうございます。と、お返事が遅れて申し訳ありません。

 私の文章が拙いためか、私の意図が先方に全然伝わっていないようです(泣)。

> 深見さんには「嫉妬の時代」の「積木くずしが物語る親子関係」を読んでほしいものです。子供がかわいそうです。<

 仰るとおりです! 人の親として、絶対子供に言ってはいけない言葉ってのがあると私は思います。今のところ子供さんが深見さんの言葉で傷つくようなことは無いようですが、この先もこのことに気づかず、傷つかない保障はどこにもないわけで…批判だの何だのという前に「信じられない」というのが率直な感想です。
Posted by だっしー⇒がんこ様 at 2005年05月11日 01:34
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