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2007年06月13日

「○○○○王子」普及断固阻止同盟ニュース vol.1

 水尾さんの甘言に乗せられ、うっかりこんな因果な会(当同盟)を立ち上げてしまい、この先どうしよう…と思っていたところ、痛いニュース(ノ∀`)にこんなニュースが…。

ウッズに「ハニカミ王子知ってる?」 日本のTV局、ひんしゅく…全米オープン

 もうタイトル見ただけでバカかと、アホかと…。
 大体言いたいことはリンク先のコメント欄で言い尽くされていますが、ちょっとだけ。

 わざわざ世界でこんな恥を晒してきた連中はホントゴミ袋かぶったその中で脳漿をぶちまけて死んでほしいとしか言いようがありません。

粉飾記事

 しかも、現場では冷笑と軽蔑の眼差ししか浴びなかったこの質問が、記事になるときにはあら不思議「ウッズがハニカミ王子絶賛!」となるわけです。

ウッズに「ハニカミ王子知ってる?」

 男子ゴルフの全米オープン選手権を前にした記者会見が12日、米ペンシルベニア州オークモントCCで開かれたが、日本のテレビ局がタイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン(ともに米国)に対し、「ハニカミ王子」こと石川遼(東京・杉並学院高)について質問。メジャー大会には全く場違いな問いに、世界中から集まった報道陣のひんしゅくを買った。  ウッズには「彼について知っているか」と聞き、ミケルソンに対しては「石川君にメッセージを」などと発言。大勢の記者であふれ返った会見場のあちこちで失笑が漏れ、質問者には冷たい視線が集まった。 (共同)

 (『スポーツニッポン』2007年6月13日)

ウッズがハニカミ王子を絶賛 「すごい才能だ」

 男子ゴルフの今季メジャー第2戦、全米オープン(14〜17日)を前にタイガー・ウッズ(米)が12日、オークモント(米ペンシルベニア州)で記者会見し、日本男子ツアーで史上最年少優勝を果たした「ハニカミ王子」こと石川遼選手(東京・杉並学院高)について日本のテレビ局から質問を受け、「すごい才能だ」と評した。

 ビデオで石川のスイングを見たと言い、「パワーには驚くばかり。15歳の少年がツアーで優勝したのだから、持っている才能のすごさがわかるだろう」と話した。

 石川と同様、ジュニア時代から周囲の注目を一身に浴びてきたウッズは「もう少し時間がたてば特別な選手になれる。今はプレーすること、そして上達することを楽しんでほしい」。メジャー大会と関係のない質問だったが、丁寧にアドバイスもした。

(『朝日新聞』2007年6月13日)

 下の朝日の記事だけ読んだら、まるでタイガーウッズまでが石川遼選手に注目してるかように読めます
 さすが朝日。ジャーナリズム宣言は伊達じゃありません。 

報道被害

 その上、バカマスコミがこういうアホなことをした迷惑を被るのが石川遼選手である、というのが不憫でなりません。
 亀田三兄弟みたいに自分でバカやって叩かれているのならまだしも、本人は何もしていないのに周りのバカマスコミが勝手に浮かれて騒いでアホなことをし、その迷惑を一方的に被ることが報道被害でなくていったい何だというのでしょうか

 ゴルフの大会にヘリを飛ばしたヤツと同じ組の選手に盗聴を依頼したヤツ、そして今回のバカな質問をした記者、及び適当な記事を書き飛ばしている記者連中は、揃って武田鉄矢に木製ハンガーでしばき回されるべきです
 そしてその様子をヘリで中継すれば、この手の低脳過熱報道も少しは沈静化するんじゃないでしょうか。

(了)

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2007年04月27日

私もおかしいと思います!

 まずは記事から。

『通告と一緒に弾が来た』 TBS社長強い不信感 交渉の舞台裏“暴露”

 (略)

バッシング風の報道はおかしい TBS社長が“注文”

 「TBSをバッシング風に取り上げるのは、おかしいのではないか。あらためて記事の軽重について、ご判断いただきたい」。井上弘社長は二十五日の会見で、最近の同局に関する報道に“注文”をつけた。

 「朝ズバ〜」の不二家報道「サンデー・ジャポン」の同一人物インタビュー番組収録時の事故など、不祥事が相次いで発覚。井上社長は「言われるようなことをやるのが良くないが」としながらも、「フェアプレーでいきましょう」などと述べた

 一方で、不二家の信頼回復対策会議は、TBSの報道について「不二家の信頼を失墜させようとする意図すらうかがわれるもので、他の報道とは質が異なる」などと指摘しているのだが…。

(小田克也『東京新聞』2007年4月26日朝刊・強調引用者)

 私も、TBSをバッシング風に取り上げるのは、おかしいと思います

 これだけの不祥事を重ねているのに、恬として恥じる様子を見せてこなかったTBSです。

 バッシング"風"なんぞ甘っちょろい!

 がっつりバッシングされるべきです!

 ちなみに、今回のネタもとは【こちら】です。

《リンク先》
・小田克也「『通告と一緒に弾が来た』 TBS社長強い不信感 交渉の舞台裏“暴露”
   『東京新聞
・「「TBSをバッシング風に取り上げるのはおかしい」「フェアプレーでいきましょう」 …TBS社長
   『痛いニュース(ノ∀`)

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2006年08月15日

靖國狂騒曲

 朝何気なくテレビを付けたら固まってしまいました。

 朝からヘリまで飛ばして靖國までの道程を追跡。
 首相の靖國参拝って「はじめてのおつかい」だったんだ…と一瞬マジで勘違いしそうになりました。

 それともマスコミは靖國参拝に反対する左翼のテロを警戒して「監視カメラ」の役を買って出たのでしょうか。
 だったらご苦労なことですが、お祭り騒ぎでイキイキ中継している各局の報道を見る度、そんな淡い妄想は木っ端みじんに吹き飛ばされてしまいます

 揃いも揃ってブラウン管の向こうで騒ぎまくり、はしゃぎにはしゃいでいるメディアを見るにつけ、日本を破滅に向かわせている大きな一因は間違いなくこいつらだ、と改めて確信しました。

 しかし、そんなマスゴミの中に一条の光明がありました。そう、それは勿論…

2006815yasukuni.jpg

 テレ東です!!!!!!! テレ東万歳!!

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2006年04月26日

死の価値の格差

* 以下はmixiの日記からの転載です。 多少加筆修正してあります。

 昨日はJR福知山線の事故からちょうど一年ということで、関西の民放各局では昼の間ずーっと報道特番をやっていたそうです。父によれば報道特番をやっていなかったのはNHKとサンテレビだけだったそうな。

 被害者や亡くなった被害者の遺族の心中は察するにあまりあります。ここに亡くなった被害者に哀悼を捧げ、被害者と遺族が一日も早く元気になられることをお祈り申し上げます。

 ただ、事故の悲惨さや事故の傷跡をこれでもかと煽るニュースや特番を見るにつけ、私は被害者や遺族への同情とは別の意味でいたたまれない気分になってきました

 もう二年ほど前になると思うのですが、私はバイトの帰りに交通事故を目撃しました。原チャリと歩行者の衝突事故で、歩行者は亡くなっています。
 原チャリと歩行者の事故なんてありふれているのでしょう。新聞にも載っていなかったと思います(載っていたとしても見落としてしまうほど小さな記事だったことは想像に難くありません)。
 この事故に限らず、飲酒運転の取締り強化により年間交通死亡事故が減ったと言われても年間七千人以上の方が亡くなっています。

「脱線事故から一年」のニュースではセレモニーの様子が報道され、涙ながらに弔辞を読む遺族の映像がどこのニュースでも繰り返し流されていました。

 私が事故を見た交差点には地蔵はおろか花一本手向けられていません。近所の人も、かつてそこで交通死亡事故があったことすら今は覚えていないかも知れません。

 そんなことをぼんやり考えながらテレビを観ていると、マスコミが「JR福知山線の事故を風化させないぞ」「被害者は今もこれだけ辛い思いをしているんだぞ」と強調すればするほど、観ている私の胸中には二つの思いがわき上がってくるのです。
 一つは被害者や遺族への同情。そしてもう一つは死に方による扱いの差という現実…。

 皮肉なことに、今も辛い思いを抱えていらっしゃる遺族のことを私が知ることが出来たのは、被害者が十年に一度という極めて珍しい事故に遭ったからです。マスコミにとってニュースバリューがある「珍しい死に方」だったからです。ありふれた交通事故で家族を亡くした多くの方々の癒されぬ思いは電波に乗ることすらまずないのですから。

「報道する価値」という点で人の死に価値の格差が生じるのは仕方がないです。勿論それは望ましいことではありませんが、それが現実であるということは私も認めます。
 しかし、です。だからこそ、報道する側には、そのことを前提として人の死を扱っている(つまり他人の不幸で飯を食っている)ということをきちんと認識し、その上で自分たちのやっていることを常に見つめ直す視点が絶対に必要なのではないでしょうか。少なくともそれを持ち合わせていない奴に、報道に携わる資格はありません。
 ものには節度があります。平日の昼間に各局が一斉に特番を組み、延々と事故のことを流し続けるというのは常軌を逸しているように思えました。

posted by だっしー at 02:31| 大阪 | Comment(2) | TrackBack(0) | マスコミ批判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

衆議院選挙雑感

 今回の衆議院選挙について徒然と。

民主党のCM

 まず、民主党のCMに違和感を感じた。
 岡田前党首の横顔が妙に鳥肌実チックな印象を受けたのはご愛敬としても、あのご自分の演説がかぶって聞こえてくるのは頂けなかった。私はあのCFを観たとき、岡田党首は多重人格だったんだ誤解してしまった。特に、最期に正面向いてあの顔、失礼ながらやっぱり心の病を患っていらっしゃるようにしか見えなかった。

相変わらずひどかった報道(テレビ)

 今回は露骨な民主党びいきは無かったものの、耳にたこができるほど聞かされたのは「郵政民営化法案の中身がまったく国民に伝わってこない」といった政府・与党への非難である。
 が、私にとって疑問だったのは、それを国民にわかりやすく伝えるのはマスメディアの仕事ではないのか、ということである。選挙期間前から選挙期間中を通じて、郵政民営化法案の中身について国民にわかりやすく説明し続けたメディアは一体どれだけあっただろうか。日本を左右する大事な選挙だと言うのなら、下らない芸能ニュースやバラエティーを全部中止してでも国民に説明し続けるべきではないのか? そしてそれこそがメディアの本来的な仕事ではないのか?
 政府を責めるのは勝手であるが、それはそのままマスメディア自身への批判ともなりうることについては、メディア自身もっと自覚すべきであろう。

 それにメディアは「小泉劇場」などと言ってさかんに小泉首相を批判していたが、これも私の目にはマッチポンプにしか映らなかった。
 小泉首相が「やめてくれ」といった「刺客」候補という言い方をしつこく使い続け、郵政民営化法案の中身や当事者の主張の中身ではなく自民党を追い出しただのといった因縁話に終始し、さんざん「劇場政治」を演出して報道してきたのはマスメディア(特にテレビ)だった。「劇場型政治」を批判したいのなら、まずは自分たちが「劇場型報道」を辞めるのが筋というものである。

選挙特番の各番組について

 結論から言えばNHKが一番落ち着いてみられた。やはりシンプル・イズ・ベストなんだと思う。

 個人的に一番嫌だったのは関西テレビだった。
 兵庫6区の阪上善秀候補を「日本一不幸な候補者」として特集したときに、バラエティ専門のあの梅田淳にインタビューさせていたのだが、梅田は表面上はまじめくさってやってはいたものの「無所属アナウンサー・梅田淳です」とふざけた自己紹介から入り、阪上候補の悔しさをにじませるインタビューを「もう時間が無くなりました」とこれまたふざけた言い方でしめ、冗談めかしていた。スタジオのアナウンサーも阪上候補のインタビューをニヤニヤ笑いをこらえながら見ていたのがワイプで映っていた
 個人的には阪上候補にこれっぽっちの同情も湧かなかったし、悔しさをあらわにしてインタビューに答える阪上候補が妙な滑稽感を漂わせていたという一面も否定はしない。ただ、我が国の行く末を決める重大な選挙戦の報道において、しかも真剣かつ必死に選挙戦を戦ってきたが一歩及ばず、その結果を目の当たりにしてショックを受けている阪上候補を嘲って嗤う資格が一体誰にあるというのか。
 あれは悪質ないじめ以外の何者でもない。本当に下品だったし、何より見ていて不愉快だった。

 視聴率的にはTBS系列が一番だったそうである。久米宏と筑紫哲也のツートップは「船頭多くして船山に上る」になりそうだと思ったのだが、そういうシーンは見られなかった。というよりも関西では大阪のMBSからの報道が多かったのであまり久米・筑紫コンビを見られなかったという方が正確か。
 これはTBS・MBSに限ったことではないが、画面上部などに「国民の声」として小泉首相を非難する一言メッセージをひたすら垂れ流し続けるのは非常に見苦しかった。あのように断片的で感情的な意見を取り上げる意義も意図も見いだせないからだ。もっと言うなら、あのメッセージ・テロップが2ちゃんねるの適当な発言とどう違うというのか。(ちなみに、小学校六年生の「私はメディアが踊らされすぎだと思います」という会心の一言がこの唯一の例外だった)

* あと、MBSの選挙特番で気になったのが、あのモロバレのヅラのオッサンである。名前は失念したが、毎日新聞の編集委員か何かだったこのヅラのオッサンを見たとき、私はパンチョ伊東を思い出してしまった。なるみも桂ざこばも偽パンチョの話を真剣な顔で聞いていたが、よくも笑わないものだと感心してしまった。
…あ、もしかしたら、笑ってしまいそうになるのを必至にこらえるためにあんなに真剣な顔をしていたのかな?

 フジ系では滝川クリステルがロケに行っていたのを偶然見たが、スタジオと違って光量が足りないロケ先では当然滝川の顔はいつもの真っ白には映らず、結果的に「実は肌が汚い」という印象だけが残ってしまった。
 アレはイメージダウンだと思う。

 だんだん話が横道にそれてきたのでこの辺で筆を擱くことにする。
(了)

《トラックバック送信先》
・REDLOVER「マツリゴトの後思うことダラダラ
   『REDLOVER

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2005年06月26日

『バンキシャ』雑感

 今日(2005年6月26日)、ちょうど帰宅した頃に『真相報道バンキシャ!』がやっていた。何気なしに見てみると、15歳の少年がどうたらこうたらとか言って、少年の部屋の本棚などを再現していた。15歳の少年とだけ言われても途中から見ると何のことを言っているのかがよくわからない*。

* 後になって調べてみたところ、どうやら東京都板橋区で起きた15歳の少年による両親殺害事件のことを言っていることがわかった。
 画面の端にスーパーインポースを入れておくなら、せめて「15歳少年の自室完全再現」とかではなくて「15歳両親殺害少年の自室完全再現」くらい書いておいてほしい。いったい何のためにスーパーを入れているのか、制作側はもうちょっとやっていることの意味を考えて欲しい。

 その少年の本棚には、『完全自殺マニュアル』や『バトル・ロワイアル』などわかりやすいまでにわかりやすい本が置いてあった。で、取材スタッフは少年のやっていたゲームなんかもわざわざ取り寄せてプレイする。そこでテレビの前をいったん離れたのでどういうゲームだったか憶えていないが、一々プレイしなくても指摘したいだろう内容については大体予想がつく。それは「残酷な描写」である。
 テレビの前に戻ってくると少年が読んでいた小説か何かの中に両親が死ぬ描写がある、というようなことを指摘していた。
 スタジオに戻ると福澤朗はしたり顔でコメンテーターに意見を訊いていた。

■少年に影響を与えた「犯人」さがしのジレンマ

 この特集を何となく見ていると、少年が犯行に及んだ原因をこれらのアイテムに還元しようといういつもながらの発想がすすけ見える。少なくともそこに因果関係を認め、原因究明した気になりたいのだろうことは容易に推測される。

 しかし、である。この特集をすればするほど同時に浮き上がってくる存在がある。それは、同じような本を読んで同じようなゲームをしていた、つまり当該少年と同じような環境にありながら同様の犯行に及んでいない多くの少年がいるという歴然とした事実である。
「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」というのは使い古された言い回しであるが、今回の特集自体が皮肉にも当該事例の珍しさを物語ってしまっている。すなわち、当該少年の置かれた環境(外的要因)に原因を探っていった今回の特集が、かえって当該少年の特異性(内的要因)を浮き彫りにしてしまったというわけである。

 事件の真相を究明するため様々な事柄に分析を試みることを否定するつもりは毛頭無い。しかし、ゲームや小説というわかりやすいスケープゴートを探し出して真相を究明した気になるのなら、真相究明などはなっからやめておいた方がいいと思う。

■犯罪誘発要因規制論の自家撞着

 もう一つ。この手の「原因究明」(いわゆる「犯人」さがし)をやっているマスコミは自分たちの首を絞めかねないことを考えたことがあるのだろうか。「Aという要因の存在が、BによるCという犯罪結果発生を誘発した。だからAの規制を検討しなければならない」という思考パターンは少年犯罪や性犯罪などを扱うマスコミでよくお目にかかる論理である。重複を厭わずに繰り返せば、今回の事件では「『完全自殺マニュアル』や『バトルロワイヤル』、あるいは残酷描写を伴うゲームなど(による影響)の存在が、15歳少年による両親殺害という犯罪結果発生を誘発した。だから『完全自殺マニュアル』や『バトルロワイヤル』、あるいは残酷描写を伴うゲームなど(による影響)の規制を検討しなければならない」ということになるだろう。
 だが、だとすると、模倣犯の存在についてマスコミはどう考えるのだろう。
 ご存じのようにマスコミが目新しい犯罪などを報道すると一定数発生するのが、その犯行手口をまねた「模倣犯」である。これも前述の論理に従うなら「犯罪(手口)の報道が、模倣犯による新たな犯罪結果の発生を誘発した。だから犯罪(手口)の報道規制を検討しなければならない」となるはずである。

■まとめ

 結局、言いたいこと単純なことである。
 事件の真相を究明すべく特集を組むんだったら、もうちょっと深く行こうよ
 同じような環境にいる子どもたちを犯罪者予備軍とみて怯える前に、最後の一歩を踏み出してしまった今回の少年とその一歩を踏み出さなかった数多の少年たちとの差は一体どこにあるのか? そしてそれは外的要因(小説やゲームの類)に還元されるものなのか? せめて企画の段階でこのくらいまでは考えてほしい、それくらいの問題意識を持ってやってほしい、それだけである。
(了)

《参考文献》
・鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版)
・高見広春『バトル・ロワイアル(上・下)』(幻冬舎文庫)

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2005年04月25日

JR福知山線の脱線事故について

 まず最初に、今回事故で亡くなった方にお悔やみを申し上げると共に、負傷された方々にお見舞い申し上げる。

 今日は夕方まで家にいて勉強していたのだが、その勉強の手が止まった。たまたまコーヒーを汲みに降りたリビングでJR福知山線の脱線事故の報に接したからだ。その後、夕方うちを出るまで気になってちらちらと断続的にニュースは見続けた。近所に友人宅があるなど知らない土地でもないからだ。

 この事故については、まだ救出活動が続行中でろくな調査ができていないうちから早くも「事故原因は何か」ということが(特に東京方面で)取り沙汰されていた。中には断片的な情報だけで断定的なことを言っている「専門家」なども見受けられたが、専門家であれば尚更、調査も進まず証拠も揃わないうちから断定的な物言いをするのは現に慎んでいただきたい。私がちらっと見た中では、特定の要因だけを殊更主因であるかのように言う人がいたが、こういう人は未確定情報を垂れ流すことで一般人の情報攪乱に一役買うばかりか、そもそも想定する範囲(視野)自体が狭いという点で専門家としても失格であると思う。

 ろくに調査も進んでいない中では所詮推測の域を出ないので、あれこれ私見を述べることは慎むつもりだが一つだけコメントしておく。
 運転歴11ヶ月の、23歳運転手のことである。この人が前にも一回停車位置をオーバーしていたことがあるという前歴は、確かに否定的な評価を下すを材料としても良いだろうが、11ヶ月という期間を以て「未熟」と早計に断じるのはちょっと違う気がする。初めて運転する前にだって相当期間の訓練は受けているはずであることを考えれば、そう簡単に「未熟」と断じられるものかどうか。

 さて、今回言いたいのは、新潟の震災の時に書いたことと共通するが「報道のあり方」である。

東京発信という二度手間を取るテレ朝

 私がニュースを見たとき、しばらく各局を見続けた。そうすると興味深いことを発見した。日本テレビ系は「よみうりテレビ」、フジテレビ系は「関西テレビ」、TBS系は「毎日放送」とそれぞれ大阪のテレビ局が中心となって放送していた。が、テレビ朝日系列だけテレビ朝日で報道していたのである。渡辺宜嗣や鳥越俊太郎があれこれ言っていたので恐らくは「スーパーモーニング」の続きでやったのだろう。
 しかし、それははっきり言って失敗だったのではないか。ザッピングしながら各局の報道を見比べていると、他局ではほぼ同時間に入った情報がテレビ朝日だけは2テンポほど遅れるのである。テレビ朝日で「たった今新しい情報が入りました」と言うコメントは、ほとんどすでに他局で聞いた情報ばかりなのだ。近畿圏に限って言えば、速報性という点で完全にテレビ朝日は出遅れ、しかも遅れ続けていた。
 なぜ大阪の*ニュースをわざわざ東京経由で聞かなければならないのか? 一度大阪朝日放送から東京のテレビ朝日に伝えられてから放送されるのが二度手間であることは火を見るよりも明らかである
 もしその原因が、大阪(に限らずキー局全般)に全国発信する報道を担うことができないとでも言うのなら、早急にそれをできるよう改めるべきである。それを怠っておきながらバラエティーに力を注いでいるのは本末転倒というものであろう。

* 尼崎は一応兵庫県だが、地理的には大阪のすぐ近くであり、電話番号も大阪と同じ06圏内である。

ネタ不足を露呈していた割には…

 後からひどいと思ったのは、情報を伝える側の整理能力が低すぎることである。
 一両目の車両がマンションの一階(ガレージ)に滑り込んでいたことや、電鋸やバーナーなどで車両を切断できないのはガレージに突っ込んだ際に車にぶつかって車からガソリンが漏れ出しているからであることなどを知ったのは「ニュース23」を観たときだった。昼間各局の映像を観たときも「なぜ外から車両を切断しないんだろう?」と私は思ったのだが、揣摩憶測レベルの原因推理を流す一方で、視聴者のこういう疑問はスルーされていたわけである*。
 昼間の段階で、誰もこのことに疑問を持たなかったにせよ、伝える必要がないと判断したにせよ、どちらにせよ各報道機関は報道のセンスが無さ過ぎである。

* 私はずーっと観ていたわけではないが、うちの親父はほぼ一日中このニュースをゴロゴロしながら見ていた。その親父が一緒に「ニュース23」を観て驚いていた。

 救助隊の方では、阪神大震災での経験が教訓として今回も生かされていた。が、マスコミの方は相変わらずだったようである。マスコミは事実がはっきりしていない現状で原因究明をやる前に、災害報道あり方をこそ先に反省・検討すべきである。
(了)

《関連記事》
ダメなもの「地震中継」

《トラックバック送信先》
・atsu「安全と定時運行のジレンマ
   『atsuのB級ニュース批評
・gori「人が死んでんねんで!
   『Irregular Expression
・水尾ツモロヲ「相変わらずの取材テロ…
   『プロテクトX ??傍観者たち??
・使用上の注意「責任について考える
   『使用上の戯言・本店
・大船運輸区「尼崎事故に思う
   『大船運輸区の日々諸々

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2005年03月10日

ダメなもの「人権擁護法案」

 すでに「人権擁護法案」については、あちこちのサイト・ブログ等で批判が百出している。今更私如きが書いたところで屋上屋を架すようなものかも知れないが、この件については反対の意思表示をすること自体に意味があるだろうと思い直し、以下、この法案について考えてみたい。

 恥ずかしながら、掲示板で教えていただくまでこの法案についてはほとんど知らなかった。で、こちらのサイトを見てびっくりした。「怖い」というよりも先に、こんなデタラメな法律案が国会の場で検討されていることにまず驚いた

 憲法を勉強していると、表現の自由が以下に重要な権利であり、その規制には慎重であるべきかが、それこそ嫌というほど論じられている。
 民主主義は自由な議論・言論によって担保される制度であり、その議論の際に偏った議論にならないよう求められるのが広い知識や情報である。国民がその知識・情報を知り、より公平な議論をし、より妥当な意思決定をするために、表現の自由というのは必要不可欠な権利であり、それは最大限保障されなければならない。
 確かに、表現の自由についてはプライバシーの権利との衝突や名誉毀損など、他の人権との衝突などが不可避的に発生する。しかし、その際、表現の自由に対する制限についても、表現の自由の重要性に鑑みて、必要かつ最小限のものに限定されている。「物言えば唇寒し」ではないが、表現の自由の規制については広範な「自主規制」という「萎縮効果」を伴いがちなので、特に厳格に判断されている。
 これはまともな憲法の本であればどれにでも書いてある基本的な事項である。

 が、人権擁護法案はこの憲法(学)の基本すら踏まえられていない無茶苦茶な代物であるここまでバカな法律案が出されたこと自体、はっきり言って国辱モノである。この法案を出した国会議員は全員国会議員としての資質・適性を欠くと断言してもいい。憲法から勉強し直すべきである。
 詳しくは前掲のまとめサイトをご覧いただくとして、いくつか指摘しておく。

 まず、そもそも規制すべき「人権侵害」の定義があまりに曖昧である。以前「罪刑法定主義」について少し書いたが、人権侵害として規制されるのがどのようなことかが漠然として分からないのでは、表現の自由(憲法21条)についての規制として意見である以外に、憲法31条にも違反する。

 また、人権擁護委員会というところは裁判所の令状なしに立入り検査・財物没収などができるとある。これは住居侵入・捜索・押収に対して裁判所の令状がなければならないとする憲法35条に違反している。
 このほかにも特定の団体が人権委員になることで特定の政治的言論を狙い打ちで弾圧することが可能になるなど、この法案の問題点は挙げ出せばきりがないのでやめておく。
 この法案を読むにつれ「憲法を勉強してきたけど、俺が何を勉強してきたことって一体何なんだろう…」という虚無感にすら襲われる。

* ちょっと感情が先走った文章であり、この法案についてフォローしていると上記批判が妥当でない箇所も散見されるようになったので、一度上記記述を削除させていただく。

 それにしても汚いのはメディアである。普段は「国民の知る権利を代表して行使している」などと勝手に国民の代表面して、国民の知る権利の名の下に報道被害をさんざん垂れ流していたくせに、人権擁護法案の中にメディア規制の文言があると知るとメディア規制の文言のみ削除を要求した。もちろん、ネットなど一般国民の表現の自由には触れもせず。
 これが自分たちの既得権益だけを守ることでなくて何だというのだ! メディア規制と国籍条項だけを取り上げているマスメディアは、ネット上の表現は自分たちにも噛みついてくるから規制に賛成して報道を意図的に歪めている(つまり国民の表現の自由などどうでも良いと思っている)のだろうか。それとも本当にこの法案の問題点がわかっていないのか。どちらにせよ、国民の知る権利を代表して行使する者として失格であることに変わりはない。大体、人権擁護法の目的からして一番規制すべき対象であるメディアに規制がなされなければ、本末転倒どころかそもそもの目的が達成できないではないか。

 ここまで書けばもう言うまでもないのかも知れないが、一応明示しておく。

 人権擁護の名の下に違憲の法律を作り、国民の人権に広範な制限を加える人権擁護法案は即刻廃案にすべきである!

以下、余論として

 そう言えばどこかで、人権委員の選定がまともなモノになればオッケー、と言うような意見を見た。この法案のセキュリティホールをパッチワーク的に修正されるまでは反対、というような意見も見た記憶がある。ちょっとどちらについても、どこで見たかを失念してしまったので明記できないのが申し訳ないが、パッチワーク的な修正でどうにかなるようなものだとは到底思えないので私はこれにも反対である。

 そもそも、ネット上の表現に限らず、表現行為による法益の侵害については現行刑法(名誉毀損罪、侮辱罪等)と民法上の損害賠償請求で対処すべきであり、かつ基本的にそれで十分である。なぜなら、法益侵害を受けた被害者自体が存在しないのに表現を規制する理由がないからだ。
 私は、表現の自由という大きな利益を守るためには、誹謗・中傷あるいは低レベルな表現の発生という小さな不利益については、これをコストと解して国民が甘受すべきだと思う。そして、その上で、看過できない具体的法益侵害が発生した場合については、その法益侵害という事実によって事後的に対処されるべき(具体的には削除要求や、前述の刑事法・民事法による法的制裁など)と考える。
 人権侵害の態様などを考慮し、事後的な対処(特に侵害行為の訂正・削除など)を速やかにする手段は考慮されるべきだと思う。しかし、その場合も基本的には「具体的な法益侵害」が無ければならないというのが私見である。

 本来、表現の規制を考えるのなら、まずどこまでが許されてどこからが許されないものなのかについて明確な線引き(基準)がなされなければならないし、その基準については(日本人の大好きな)「議論を尽くし」た上での国民の(相当多数の)広い同意が得られなければならない。ネットという技術・メディアだけが先行し、その弊害であるネット表現での人権侵害やその規制・許容範囲についての議論が尽くされないどころか広く国民に共有されてもいない内に、先に規制手段(それもおっそろしいまでにまずい手段)にだけを検討したからこうなるのである。発想が逆だ
 そう言えば、明確な人権侵害と誰もが認めるようなものでない限り処罰されないだろう、という楽観的な意見も見られたが、これなど罪刑法定主義の基本すらわかっていないと評価せざるを得ない。確かに法律は多様な現実に対応するためにある程度「解釈の幅」というものが求められはするが、「人権侵害」だの「不当な差別」だの「その他の人権を侵害する行為」だのという「定義」*など、ほとんど何も定義していないに等しいと解すべきだろう。

* 人権擁護法(案)

 (定義)
第二条 この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。
 この法律において「社会的身分」とは、出生により決定される社会的な地位をいう。
 この法律において「障害」とは、長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける程度の身体障害、知的障害又は精神障害をいう。
 この法律において「疾病」とは、その発症により長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける状態となる感染症その他の疾患をいう。
 この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。

 (人権侵害等の禁止)
第三条 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
  次に掲げる不当な差別的取扱い
   国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
   業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
   事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に基づく解雇を含む。)
  次に掲げる不当な差別的言動等
   特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動
   特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してする性的な言動
  特定の者に対して有する優越的な立場においてその者に対してする虐待
 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為
  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為

(了)

《関連記事》
・ダメなもの「人権擁護法案」
人権擁護法案再考(覚え書き1)
人権擁護法案再考(覚え書き2)

《リンク先》
・『人権擁護法案BLOG(臨時)
・「人権擁護法(案)
   『法務省

《トラックバック送信先》
・「人権擁護法案反対にご協力をお願い致します!!
   『人権擁護(言論弾圧)法案反対!

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2005年01月29日

ダメなもの「プライバシー保護のためのモザイク」

 昔、上岡龍太郎が言っていたことをふと思い出した。

 一体、北海道のヤクザがテレビで内部事情をしゃべっているときにかける顔のモザイクには何の意味があるのか?

 我々がその人の顔を見たって、どうせどこの誰だかわからない。一方、事件の関係者はモザイクをかけてあったって、「こんな事を知っているのはあいつに違いない」と大体の検討はつけられてしまう。一発でわかることもあるだろう。
 とすると、このモザイクは何の役にも立っていないことになる。モザイクをかけてもわかる人にはわかるし、モザイクをかけなくてもわからない人には初めからわからない。

 当時、これを聞いて大笑いした覚えがある。厳密に言えば突っ込む所は色々あるのだが、取りあえずもっともらしい理屈になってはいる。こういうもっともらしい屁理屈を説得的に説く人は今の芸能界にいない。現在の芸能界でいなくなって困るという人はほとんどいない(代替がきく)けど、上岡龍太郎だけは遂に代替が聞かないままでいる。上岡の芸能界引退だけは本当に惜しくてならない。

 と、えらく脱線してしまった。今回の主題はマスコミの人権保護のデタラメさについてである。
 記事の日付と前後してしまうが、奈良の女児誘拐殺人事件の犯人、小林薫が事件の実況検分している様子がニュースで流れた。そのときに手にモザイクがかけられていた。
 あのモザイクはいったい何のためなのだろう? 視聴者のほとんど全員が、あのモザイクの向こうに手錠がはめられていることをわかっているのである。新聞やテレビの報道では小林薫が犯人だと実名はおろか顔写真や映像まで垂れ流しているのに、である。
 なのに、手だけモザイクをかけるのは何故なのだろう? やっていることの意味が全くわからない(だれか事情に詳しい方、合理的な説明をお願いします)。

 あと、昨年の9月頃だったか、チェチェンの小学校がテロリストに占拠された悲惨な事件があった。あの事件の直後、「真相報道バンキシャ!」であの小学校の校長先生の病室の様子を流していたのだが、その隣か二つ隣のベッドにカメラがパンしたとき、裸の少女の下半身が一瞬テレビに映ったのを覚えている。ロリコンの人が見ていたらとか以前に、テープを編集した奴は「こりゃまずい」とは思わなかったのだろうか。それともテロ事件の残酷さを伝える「報道」の錦の御旗の下ではロシアの少女の人権など顧みられもしないのだろうか。
 編集の段階で気づかなかったならその編集能力が、流しても問題ないと思って流したのなら常識が、無かったか狂っていたと言わざるを得ない。

 マスコミ(特に日テレ)はモザイクをかけるところをもう一度考え直した方が良いと思う。
(了)

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2005年01月17日

今度は「偏向報道バンキシャ!」か!?

 2005年1月16日放送の「真相報道バンキシャ!」の中で、暴走行為を取り締まる警察の特集をやっていた。
 同番組では警察の暴走車両の追跡法を批判的に検討し、その危険性を指摘すると共にヘリなどの導入を主張していた。
 一部首肯できる部分があったのは確かだが、全体的には「ためにする批判」という印象がどうしてもぬぐえなかった。警察の制止命令に従わない暴走車両が逃げる際に事故死することを「警察の行き過ぎではないか」という調子で扱っていたからである。

 番組では最近尼崎で起きた事故を紹介していた。概要はリンク先の記事をご覧いただくとしてかいつまんで説明する。
 焼肉店を出てきた乗用車の挙動が怪しく飲酒運転の疑いもあると停止を命じたところ、乗用車は逃走。パトカーはサイレンを鳴らして追跡を開始する。高速度で逃げる乗用車は遮断機の降りた線路内に侵入し、電車と衝突。乗っていた男性(37)、女性(30)、男児(11)は即死した。
 3人とも車外に放出されていたため、男女どちらが運転していたのかは不明だが、2人とも無免許だったそうである。

 この事故に対して、同番組のVTR中での扱いは「起こした行為に対してあまりに重すぎる結果ではないか」というようなものだった。

 バカも休み休み言ってほしい。免許も持たずに車に乗り、焼き肉屋から出てきたということは飲酒運転の疑いも十分ある。しかも警察の制止を振り切って逃げているのである。一体どこに同情の余地があるというのだろう。不幸にもこんなクズ共をはねてしまった電車の車掌や、事故に巻き込まれた乗客、そして忠実に職務を執行しただけの警察官には心底同情するが、この被害者たちには一切同情できない(男児について同情心がわくとすれば、こんなろくでもない親のところに生まれ落ちたことに対してである)。

 同番組では暴走車両を追いかけることで通行人を巻き込む危険性を指摘していた。確かに、それは解決されるべき重要な課題ではある。
 しかし、守るべきは一般人の安全であり、暴走車両を運転手ではない。そこは別に考えるべきだ。
 番組を観ていて腹が立ったのは、一般人にそういう危険性が及ばないところでも、暴走車両を傷つけずに検挙しようとするやり方である。VTR中でも、暴走車両が一瞬制止した時に駆け寄って制止しようとして失敗している姿があった(しかもそれが多数らしい)。おならぷーぷー団(いわゆる暴走族のこと。みうらじゅんの命名)に幅寄せされたのをよけるために側壁にぶつかるパトカーに至っては見ているこっちが情けなくて悔しくなってくる。
 はっきり言う。警察の制止を聞かない暴走車両は違反運転者を最悪死なせても良いから断固として止めるべきである。とくに、通行人や通行車両を巻き込まないような広い道路でなら、暴走車両に追突しても良いと思うし、バイクなど転倒させればいいのだ。それで違反運転手の体が千切れようと頭がザクロのように割れようと知ったこっちゃない。
 基本的に車両というのは「凶器」にもなりうるものである。時速数十kmで走る鉄の塊と考えるべきなのである。だからこそ、交通ルールがあり、免許制度がとられているのである。
 そんな危険なものを殊更危険な態様で運転している連中は、人混みの中で刃物を振り回すキチガイくらい危険な存在である。そのような危険を生み出している人間の命(法益)と、それに巻き込まれて命を落とす通行人の命(法益)のうち、後者の法益を優先して保護すべきなのは言うまでもない。
 恐らく反論としては「人権」が出張ってくるのだろう。が、違反・違法行為によって迷惑や危険な状態を生み出しておき、更に警察から逃れるために危険を増幅させることが認められる権利など私は断じて認めない。

 人間、基本的に愚かであることに罪はない。しかし、愚かであることは他人に迷惑をかけたことに対する免罪符にはならないのだ。

 最後に、ヘリなどを使って追いつめるというアメリカのやり方について。
 ただでさえうるさいおならぷーぷー団のためにヘリを飛ばし、更に騒音を大きくすることの是非も考慮に入れるべきだろう。通行人が巻き込まれないためにはヘリの使用もやむないとは思うが、その前に、すぐに間を抜けられるようなヌルい道路封鎖などのやりかたを変えるべきだ。再三の停止命令を無視した上に、封鎖を破ってまで逃げようとする奴は怪我させても止めるべきだし、それでそいつが死んだっていいんじゃないの。どうせ犬のウンコ以下なんだがら。
(了)

《追記》
 ちょこっとだけ書くつもりがだいぶ長くなってしまった。その上多分に感情的になってしまった…orz

《リンク先》
・石田真一「パトカーが追跡中のクルマ、電車と衝突し3人即死
   『レスポンス
・「犬のウンコ以下の暴走族
   『幹事長の小部屋

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2005年01月12日

水曜小論:必死な「とくダネ!」の荒れる成人式報道

 今年の成人式は例年に比べてずいぶんと穏やかだった、というのが今年の成人式報道である。那覇で暴れて晴れの日に逮捕までされた腐れ脳などが数匹確認されたそうだが、昨年ほど「荒れる新成人」は発生しなかったそうだ。
 と言っても、再三述べていることだが、昨年の「荒れた成人式」も所詮その数は十指に満たないごく一部での出来事である。我々がこれを社会問題のように思ってしまっていたこと自体、同じVTRを殊更流し続けて、あたかも全国規模の問題であるかのように扱ってきたマスコミの情報操作以外の何ものでもない。

 前回(2005年1月10日)の記事を執筆した際、私の心中には「今年も一部のバカ共があちこちで暴れるのかなぁ」という暗い予測があったのだが、その予測は見事に外れた。こういう予測は外れてくれた方が断然良いに決まっているので、(正直言ってちょっと拍子抜けもしたが)素直に嬉しかった。こういう予測ならこれからもどんどん外れてほしい。

 ただ、マスコミのバカさ加減については当たってしまった。いや、むしろより悪い方へ外れたと言っても良いかも知れない。マスコミがバカな報道をすることは簡単に予測できたが、その程度のひどさまでは予測できなかった。想像を絶する頭の悪さだったと言っていい。

 私が言っているのは2005年1月11日放送分の「とくダネ!」(フジ)である。
 那覇で逮捕者が出た以外に目立った「荒れ」が無かったせいか妙にトーンダウンしているように見えたのは私の偏見だろうか。それは措くとしても、だからといってわざわざ去年の荒れた成人式の模様を改めて流す必要性があったとは思えない。よっぽど「荒れた成人式」にご執着だったようである。

 引き続き新成人に色々インタビューをしていた。「今一番斬りたい人は?」「尊敬できる人は?」「興味のある時事問題は?」というおきまりの陳腐な質問事項ではあった。
 が、回答がふるっている。興味のある時事問題を訊かれたいかにも頭の弱そうな女の子二人が「え?…ジジ…」と一瞬「時事問題」自体が理解できなかったり、いかにもチャラけた(うわ、これ死語かな?)男のコメントを流したりと、ほとんどどうしようもないコメントばかりだった。
 スタジオに戻すと、アナウンサーがアンケート結果をいくつか出していた。5位までのランキングの「尊敬できる人」の何位かと、「斬りたい人」か何かの何位かに「特にいない」という項目があった。それを捉えてアナウンサーは「最近の若者は人と関わろうとしない」云々とこじつけ丸出しのコメントをしていた。
 こじつけの結論の陳腐さには触れない。ただ、ちょっと頭を使って考えてみれば、いきなり「尊敬できる人は?」などと訊かれてすぐに明確に一人を挙げられる人なんてそうそういるだろうか? 急に言われてもパッと浮かばない人がほとんどだと思う。そう言う意味では質問自体があまり意味のないことだと言わざるを得ない。そんなアンケートの回答から引っ張り出してきた見解にどれほどの意味があるかは言うまでもないだろう。

 しかし、これよりひどかったのはメインキャスターの小倉智昭である。ちょっと正確には覚えていないのだが、確か、

 20年かくらい昔ならこういう新成人のインタビューには自衛官や苦労して大学で勉強している学生さんなんかがしっかりしたことを言ってて、みている僕らが「ああ、彼らに日本を託そう」と思えたりしたんだけど、今の奴らみてるとあまりに子供っぽすぎて…

というようなことをコメントしていた。
 私なんぞは疑り深い性分なので、マスコミの街頭インタビュー自体、編集で自分の演出したいような意見しか流さないものだと思っている。それに、私の周囲にはもっとしっかりした新成人はそれこそ両手で足りないほどいるので、先のVTR自体多分に胡散臭いと思いながら観ていた。
 会場でインタビューに応じたのはたまたま頭の悪い連中だけが固まったのだろうか? それとも編集段階でまともなコメントはカットしたのか。私は「子供っぽくて頼りない新成人」という制作側の固定観念(偏見)に基づいて作られたものだと思うが、これはあくまで推測の域を出ない。
 ただ、どちらにしろこのVTRが世の代表的な新成人を反映したものとは言い難い。小倉はそういうことには頭が回らなかったのだろうか。ワイドショートはいえ曲がりなりにもニュース番組のメインキャスターを務めているのである。その程度の情報リテラシーも持ち合わせていないとすれば明らかに能力不足である。あるいは制作側の意向に添って意見をかぶせたのかもしれない。もしそうなら小倉は事実の歪曲に荷担したキャスターの風上にもおけない奴と言うことになる。どっちに転んでもキャスターとしての適性を疑われることだけは間違いない。
 それにしても、真面目な新成人の代表例が「自衛隊」と「苦学生」とはいかにもわかりやすい。思わず失笑してしまった。
 ついでに言っておけば、その20年ほど前の新成人へのインタビュー自体も「大人の仲間入りを果たし、大人の責任を自覚した立派な新成人」という当時の固定観念(偏見)で編集されたのではないかと疑うくらいのセンスは最低限欲しいのだが…。

 もう番組を観ていると、VTRにしろインタビューにしろ、果てはスタジオでのコメントまでが新成人に苦言を呈しようと必死である。これが無理からなあら探しまでして公共の電波でやるようなことか? 「そこまでして新成人を叱りたいか…」と苦笑せざるを得なかった。

 つらつらと述べてきたが、今回言いたいことは一つ、すなわちテレビに出てくるもっともらしい意見をはじめ、いかにもわかりやすい資料や統計は一度疑ってみる、ということだ。特にある特定の「わかりやすい結論」を指向するデータ・意見しかない場合は要注意である。
 ちなみに、そういう目(=メディア・リテラシー)を養う練習台には「News23」をオススメする。報道内容も街の声もコメンテーターのコメントも、びっくりするくらい左翼的な意見で統一されているからだ。同番組に「形だけでも良いから反対意見も紹介した方が良いんじゃないの?」と心底同情するようになった頃には、メディア・リテラシー初級編は卒業である。
 といっても、ここを訪れる人にこんなアドバイスなんざ釈迦に説法なんだろうけど…。
(了)

《トラックバック送信先》
・TAKO「荒れる成人式
   『ぽんずブログ

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2004年12月08日

ダメなもの「12月8日、今日は何の日?」

《お詫びと言い訳》
 実生活で多忙をきわめたため、2004年12月7日分の記事がアップできませんでした(時間的余裕がないので、記事を埋めるのは無理かも知れません)。申し訳ありませんが、こうさぎの記事をもって12月7日分の記事とさせて頂きます(もともとこういうために飼い始めたわけですし)。
 以降もこういうことがあるかもしれませんが、基本的に「カレンダーに穴をあけない」を最低ラインとして更新していく所存です。どうかご理解下さいますようお願い申し上げます。

 以下は本文。


わかりやすすぎる前振り

 12月8日と言えば大東亜戦争開戦の日である。いまだに日本が「卑怯なだまし討ちをした」として非難を浴びている真珠湾攻撃の日である。思想の左右を問わず、戦争に興味がある連中なら食いついてくるだろうと思ったら、案の定朝日新聞が食いついた。
 朝日新聞の2004年12月8日付社説はすごかった。一本目からふるっている。

■街宣車――わがもの顔は許せぬ

 本題ではないので一々取り上げないが、迷惑行為に及ぶ街宣右翼を批判することで保守派を批判できていると思っているのなら底が浅いと言わざるを得ない。
 そもそも彼らが問題なのはその行動であって思想ではない。罪を憎んで人を憎まず…それが普段の朝日の論法だったはずなのに、犯罪者や迷惑行為者の内「右翼思想を持った者」だけ扱いを変えるのは差別ではないのか。彼らの「心の闇」も覗いてやれよ、「彼らをあのような迷惑行為に駆り立てた社会が悪い」と言ってやれよ、などと思ってしまう。
 どうせなら街宣右翼には在日朝鮮人が多数在籍していることや、ヤクザが「政治活動の自由」を隠れ蓑に脅しの手段として使っている実態などにも踏み込んで欲しいが、そういうことには一切触れない。街宣右翼と保守派をどうにか同じグループとしたいのか、それとも単にそういう「裏」を知らないのか。前者なら事実を歪めて伝えているし、後者なら情報収集能力がお粗末すぎる。どちらにしろ報道機関としての能力に問題(欠陥がある点では変わりがないので、これ以上はつっこまない。

つっこみだしたらきりがない

 で、保守派に対してディスインフォメーションにより悪印象を与えておいて出した二本目がこれである。

■12月8日――さて、今日は何の日?

 あまりにも意図がわかりやすすぎて、読んでるこっちが恥ずかしくなってしまう。ツッコミだしたらきりがないので簡単に触れるにとどめるが、それにしてもひどい。

 歴史の教科書に載っていることだが、さて「今日は何の日?」と聞かれて答えられる人はどれだけいるだろうか。

 4年前、NHKが世論調査をした。真珠湾攻撃の日を正しく知っていた人は、終戦時に7歳以上だった戦前・戦中派世代で54%だったが、戦後30年目に16歳を迎えた人以降の世代ではわずか22%。今は知らない人がもっと多いだろう。

 ひょっとしたら、若い世代のかなりの人々は、自分の祖父やその父が米国と血みどろの戦をしたことさえ知らないかもしれない。ましてあの戦争が、行き詰まった中国侵略に活路を見いだそうとして始めたものであることも。

 敢えて言うが、たかだか日米開戦の日付を知らないくらいのことで、新聞屋風情にここまで偉そうに言われる筋合いがあるのだろうか。

 歴史の記憶は国ごとに違う。日本人の多くが「12月8日」を忘れても、攻撃された側の米国民は米国時間の「12月7日」を忘れない。9・11テロは若者にも真珠湾の記憶を改めて刻みつけた。

 をいをい、真珠湾攻撃とニューヨークへのテロは全く別物だろう。適当なことを言うな。

 いま米国とは同盟で結ばれ、日韓のきずなも飛躍的に強まった。中国は超大国への道をひた走る。

 脱字があったので、以下補って訂正しておく。
「中国は軍事超大国への道をひた走る」

 平和で豊かな日本であり続けるには、これらの国々との信頼関係が欠かせない。そして、それぞれの国が歴史として記憶しているものを互いに分かり合うことなしに、その信頼は深まらない。そこに歴史を知ることの大切さがある。

 ここは社説子の言う通りである。だから、「互いに分かり合う」ために中国人や韓国人には是非「灼熱の釘」をお読み頂きたい。

 歴史を知ることは、いまを点検する道標にもなる。「12月8日」には、軍部の台頭や国民統制という前史があった。『スパイ・ゾルゲ』で戦前、戦中の日本を描いた篠田正浩監督は「言論、表現、結社の自由だけは保障されなければ。それが作品に託した遺言です」と言う。

 社説子も篠田正浩もゾルゲがどういう人間がわかっているのだろうか。こいつらのいう「言論、表現、結社の自由」って軍事機密を垂れ流す自由のことなのだろうか。…頭痛くなってきた。

 近現代史を素通りする中学や高校の歴史教育の弊害が言われて久しい。せめてきょうは「12月8日」をクラスで語り合ったらどうだろう。

「近現代史を素通りする中学や高校の歴史教育の弊害」って何のことだろうか。私としては、きちっと近現代史を教えないために戦前との歴史的・文化的連続性が絶たれたことや、平和教育などで自虐史観を刷り込まれてきたことなどが真っ先に浮かぶが…

真珠湾攻撃の真相

 少し触れるつもりが、えらい長くなってしまった。この記事で欲しかったのは最後の一文、すわわち「せめてきょうは「12月8日」をクラスで語り合ったらどうだろう」の部分である。私は「12月8日」を語り合うクラスに在籍してないが、その点はこの際大目に見てもらおう。

 真珠湾攻撃については「卑怯なだまし討ち」という認識が一般的であろう。上の朝日新聞社説子もニューヨークのテロと同じ扱いをしている辺り、そうなのだろうと推察される。
 では、日本は初めから宣戦布告なしの卑怯なだまし討ちをするつもりだったのだろうか。
 実は違うのである。日本は宣戦布告と同時に真珠湾攻撃をする手筈を整えていたのに、ワシントンの日本大使館の外交官が宣戦布告文書をアメリカに手交するのが遅れたからである。日本(軍)は断じて故意でだまし討ちをしたわけではない。
 このことについては、井沢元彦『日本を殺す気か!』に詳しいので是非そちらを参照頂きたいが、以下にかいつまんで説明しておく。
 開戦前日の午前中、ワシントンの日本大使館に本国から予告電報が送られている。指定した時刻に米国側に後に送る長文の文書(宣戦布告文書)を手交できるよう準備しておくように、という内容であった。
 しかし、その日の晩、日本大使館員は一人の当職も置かずに帰ってしまった。理由は寺崎英成という人物の送別パーティーのためである。日米関係が冷え切ったこの重大なときに、しかも必ず時間通りにアメリカに手交せよと予告電報まで来ていたのに、身内の送別会をするために全員帰ったのである。
 更に、翌朝になって押っ取り刀で出てきた職員たちは全文を訳してから提出しようとしたため、米国側への手交が本国が指定した時間に遅れてしまう。そのせいで真珠湾攻撃の方が先になってしまい、日本は今に至るまで「卑怯な国」の烙印を押される羽目になってしまった。要は大使館員の信じられないミスのせいなのである。
 ちなみに、このミスを犯した三人は責任を一切問われていない。それどころか、このうちの二人は、戦後事務次官にまで出世している。

 って、歴史を知ることの大切さを説き、学生たちに「せめてきょうは「12月8日」をクラスで語り合ったらどうだろう」などと上から物を言っていた社説子はこのことを知らなかったのだろうか。ゾルゲのことも含めて、まずこの社説子が「歴史を知る(=勉強し直す)」必要がある。人に説教たれるのはその後にして頂きたい。
(了)

《参考文献》
・井沢元彦『日本を殺す気か!』(祥伝社黄金文庫)

《リンク先》
・「社説(2004年12月8日)」
   『asahi.com

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2004年11月26日

ダメなもの「共同通信の司法部」

《前書き》
 更新が遅くなってすみません。昨晩はさすがに疲れ切って11時には寝てしまいました。今朝は8時に起きました。「一発解決」が好きな短気な性格丸出しですが、夜型から朝型に変更できたことをご報告しておきます。

 以下は本文。


 共同通信には司法部にまともな記者がいないらしい。もっとも、これは何も共同通信に限った話ではないのだが。

 千葉地裁で靖國参拝についての判決が出た。

首相の靖国参拝は「公的」 千葉地裁

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反に当たるなどとして、千葉県の宗教者ら63人が首相と国に計630万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、千葉地裁の安藤裕子裁判長は25日、参拝を公的なものと認め「国家賠償法上の職務行為に当たる」との判断を示した。

 その上で原告の主張する「信教の自由の侵害」は認めず「具体的な権利や法的利益に対する侵害はなく、参拝の客観的違法性を判断する必要はない」と憲法判断を回避、賠償請求は棄却した。原告側は控訴する。

 小泉首相の参拝を公的と認定した判決は、2月の大阪地裁、4月の福岡地裁に続き3例目。チリでの日中首脳会談で中国の胡錦濤国家主席が「参拝は日中間の政治的障害」と指摘しており、内外の反響を呼びそうだ。
 (「共同通信」2004年11月25日)

 この記事を書いた共同通信の記者も、それを通した共同通信のデスクも、この判決のもう一つの問題点には全然気づいていないようだ。それはこの判決が不必要な事柄にまで判断を下しているという点である。

 そもそも、裁判所とは紛争を解決するための国家機関である。だから裁判所には政治的な中立性が要求される。
 これはスポーツの審判のほうがイメージしやすいかも知れない。アンチ巨人ファンがよく「野球の審判は巨人びいきだ!」と怒っているのを見たことはないだろうか。また、2002年の日韓共催のワールドカップにおいても、韓国代表に対する「誤審問題」(ネットでは「審判買収疑惑」まで指摘されていた)が取り沙汰された。ちなみに、韓国は今でもヨーロッパ方面の代表チームとの親善試合を拒絶されていると聞く。
 スポーツという、自分の生活とは直接関係しない事柄でも人はこれだけ色々言うのである。まして、国家機関がその効力を担保する裁判の判決において、その判決を下す裁判官が政治的に偏向していることは中立性の喪失を意味し、引いては裁判所の紛争解決機能そのものに国民が不信を抱くことになりかねない。

 裁判所が政治的中立性を保つためには様々な制度がある。
 その一つに、事件性の要件(具体的事件性の要件、裁判所法3条の「一切の法律上の争訟」も同じ意味)が挙げられる。元々裁判所は(私人間の)紛争を解決する機関なのだから、具体的な事件すなわち権利侵害もないのに勝手な判断を下すことはできないし、その必要もないわけである。
 平たく言えば、裁判所は国民が「助けてくれ」と法的救済を求めてきた事項につき必要最小限だけで答えを出していればいい、余計なことは言うなということである。
 他にも「付随的違憲審査制」であるとか、「憲法判断回避の準則」であるとか様々なルールがあるのだが、ここではそこまで一々立ち入らない。ここでは裁判所は必要最低限のことにだけ答えていればいいということがご理解頂ければ十分であるからだ。

 今回の判決についても、必要最低限の判決を下すなら、「小泉首相の靖國参拝が憲法20条3項に定める政教分離規定に反しようが反しまいが、そもそも政教分離規定違反によって原告に信教の自由の侵害が発生しないのだから、損害賠償請求権は発生しない」とだけ言えばいいはずである(ちなみに政教分離規定違反が直接信教の自由を侵害しないというのはほぼ一致した下級審判例の見解である)。
 憲法判断を回避したのは順当であったと評価できるが、「参拝を公的なものと認め『国家賠償法上の職務行為に当たる』との判断を示した」ことは出過ぎたマネだと思う。

 政治的な問題は国民の議論によって解決すべき事柄である。靖國参拝の是非もそれによって国民に権利侵害が発生しない以上、政治的な討論によって決すべき問題である。
 そもそも裁判所は司法試験に受かっただけの裁判官によって構成された組織であり、国会のように国民の信任という政治的付託は負っていないのである。その裁判所に判決というお墨付きをもらって自己の政治的主張を正当化しようというのは民主主義社会における議論のあり方としては根本的に間違っていることになる。

 共同通信はこのような記事を配信することが、判決や裁判所を自己の政治的主張に利用している人間の片棒を担ぐことに他ならず、これが引いては裁判所の政治的中立性を喪失させ、国民の裁判に対する不信感を発生させることにつながる危険性があることを認識すべきである。

 ちょっと荒っぽい説明になってしまったが、上記のことについては普通の憲法の概説書であれば大抵触れられている。各地方紙に記事を配信し、3000万の読者に読んでもらう記事を書くなら、最低限の勉強はなさった上で記事を書くべきだと思う。
(了)

《参考文献》
・井上薫『司法のしゃべりすぎ』(新潮新書)
 〃『判決理由の過不足』(法学書院)

《トラックバック送信先》
・REDOLOVER「靖国問題
   『REDLOVER

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2004年11月09日

ダメなもの「言葉狩り」

《前書き》
 前回の記事について頂戴したトラックバックが平和憲法を愛するちきゅう市民の方からであった。
 トラックバック先を拝読したところ、「しかし、ちきゅう市民たる者が“玉音”に対して単純にはしゃいで良いものでしょうか」という問題意識と見解においては一致が見られたものの(もっとも、私は論理矛盾と自己欺瞞を指摘しただけだが)、その他は全くと言っていいほど私と相容れないものだった。
 全内容を詳細に批判するつもりはないので、一つだけ。天皇の政治的関与の前例というのは理解としては苦し過ぎる。常識的に考えればあれはあの発言は天皇の政治的関与拒否発言であり、ああいうことを言わせた方の責任は問われるべきだとしても、天皇陛下には何ら落ち度はない。
 あの件で天皇の政治的関与云々を言うなら、彼らが前提としている「宮内庁の計算」という陰謀論をまず証明しなければならない。が、今回のような結果を招くためにわざわざ陰謀なんか計画するだろうか。いくら何でもこじつけが過ぎる。

《追記》
 ↑見事に釣られちゃってました、あー恥ずかし。

 以下は本文。


 一時期に比べればだいぶましになった感のある一方で、以前よりも厳しくなっているのが「言葉狩り」である。
 最近では「精神分裂病」が「統合失調症」に変わったことがやや有名か。確かこの変更があったときに「病気(病)」を「症例(症)」に変えて病気が無くなった、従って病人もいなくなったと言うつもりなのだろうか、と思ったのを覚えている(しばらくして日垣隆が同様のことを指摘していた。恐らく 閃きという同じ電波を受け取ったのであろう)。

語源に問題がある型

 高校時代、フェミニストの女性が講演に来たことがある。彼女は「主人」という言葉はダメだと言っていた。元々「主人」というのは主従関係・上下関係を表す言葉であり、男性優位の価値観の名残だからだそうである。
 これは語源に問題がある型と言える。これを理由に言葉の使用を禁止するのなら、「民」という字も使えなくなってしまう。

【民】
(解字)象形。ひとみのない目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。もと眠(目が見えなくなってねむる)と同系。のち、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人人の意となる。
 (藤堂明保他編『漢字源』より)

 白川静『常用字解』によれば、目を突いて視力を失った人は神への奉仕者とされたようであるが、だいたい同義である。語源に問題があることを以て語の使用を禁ずるなら、元々目の不自由な奴隷を意味し、その後も視覚障害者を「物のわからない人」扱いした上に被支配者層の人々を指していた「民」の字は尚更禁止すべきことになる。 

ケチがついてダメ型

 この類型は、元々は差別的な意味合いはなく(むしろ素晴らしい意味を持っていたものもある)、何かの折りに差別的な使われ方をしたために差別語に指定されたものである。
 その代表選手とも言うべきは「支那」である。
 支那という言葉の正当性については、呉智英が『サルの正義』や『ホントの話』で、高島俊男が『本が好き、悪口言うのはもっと好き』でそれぞれ論じているのでそちらに譲る。
 この類型に属する言葉の使用を禁ずる理由としては、「それを聞いた方が傷つくから」と言うのが最たるもののようである。
 確かに、徒に人を傷つけるような言葉を用いるべきではないし、言葉によって人を傷つけることはない方が良いに決まっている。しかし、「傷ついた」という被害当事者の感情だけで言葉の使用を禁止していくとなると、その使用禁止は際限なく広がってゆくことになる。

 例えば私が「加藤」という名の人を心底嫌っているとしよう。そして、その「加藤」という名を極めて侮蔑的に(具体的には「最低の人格の人非人、早く死ねばいいランキング堂々の第一位、人類の面汚し」という最大級の侮蔑語として)用い、それが仮に広まったとしよう。で、日本中の多数の「加藤さん」が不愉快な思いをしたとする。そうした場合、以後一切「加藤」という名を名乗らせない、過去にあった「加藤」という名も一切抹消する、となるだろうか。
 おそらくそんな馬鹿なことを言う人はいないだろう。侮蔑の意味を込めて「加藤」という言葉(名)を用いるのはやめましょう、となるはずである。
 しかし、この「馬鹿なこと」の方をやっているのが「言葉狩り」なのである。

 更に言えば、最近では言葉狩りは世間に対する悪いイメージを誤魔化す意図でも使われたりしている。その典型が「BSE」である。
 なぜ、「狂犬病」は問題なく使われているのに「狂牛病」は「BSE」に変更されたか。もっともらしい理屈はあるのだろうが、要は牛肉を提供している食品・外食産業のイメージ操作である。表意文字である漢字の「狂牛病」はすぐにあの牛が腰をガクガクさせているイメージが思い浮かぶ。そうすると、多少なりとも狂牛病に対する恐怖から牛肉を敬遠するようになるから、それを誤魔化すためにわざわざ「BSE」に呼称を置き換えたのだろう。
 しかし、言葉を換えて恐怖心を薄めても、危険自体が薄まるわけではない。
 言葉狩りも同じである。言葉の使用を禁止しても、差別的な心情が消えるわけではない。上っ面の言葉だけをいじくっても本質的な解決にはならないのである。

 言葉狩りは、差別感情という差別問題における本質を見えなくさせる有害無益な行為だと私は思う。
(了)

《参考文献》
藤堂明保他編『漢字源』(学研)
・白川静『常用字解』(平凡社)
・呉智英『サルの正義』(双葉文庫)
・呉智英『ホントの話』(小学館文庫)
・高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(文春文庫)

《トラックバック送信先》
・sower03「漢語 中国語 そしてチャイ語 +朝鮮語 韓国語そしてハングル講座??
   『犬は星見た?@goo
・ぶんだば「悪しき「言葉狩り」」
   『徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて』
・infectionkei2「農水省:「BSEに感染した牛は、骨を取り除いても食肉処理の過程で肉が汚染される可能性がある」
   『BSE&食と感染症 つぶやきブログ
・大場理史「es muss sein 運命の声 2003.5.X 初出
   『仙台インターネットマガジン ★仙台のフリーネット雑誌』 

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2004年10月30日

ダメなもの「感情論での政府批判」

前書き -ご指摘と反省・再検討-

 アクセス解析から『小烏丸の日記』というブログに行き、そこでダメなもの「善意・同情の押しつけ」ついてのコメントを拝見した。

私は偽善は悪いことであるとは思いません。偽善であってもそれが真善であっても、これを受ける方が迷惑ではないかという留保が必ずどんな時点でも重要ではないかと思うのです。*1

そもそも「正義」と「善」の扱いなどより精緻に追求しなければならない問題もあります。

偽善と真善の区別なんてつけようがないのですから。

 この点、私の言葉遣いが軽率だったと反省している。
 私の言いたかったことを乱暴かつ端的にまとめると「テメェの善意に酔うな。善意を振りまくときは常に他人がどう思っているかを考えろ。善意は相手の迷惑を考えずに押しつけるものではない」ということに尽きる。だから、私としてはこの指摘にも同意している(というよりもむしろ、「そうそう、それが言いたかったんです!」という気持ちの方が大きい)。
 これを表す言葉としては「偽善」よりも「独善」の方が良かったかな、と考えている。いずれダメなもの「善意・同情の押しつけ」の方も手直ししたい。

地震発生直後の対応についての印象操作

娘通信♪』によると、共同通信の記事に、小泉首相が新潟地震発生後も相も変わらず映画を見ていたかのような印象操作があったことが指摘されている。当該記事内でも指摘があるように、これは東京国際映画祭に出席していたのである。公式に出席していたのかどうかまでは知らないが、少なくとも小泉首相がプライベートで映画を見に行っていたわけではない。地震があったという報だけですぐにキャンセルできる性格のものでないことはわかりそうなものである。
 読売の記事に依れば、その後、小泉首相は被害状況の報告を受けて官邸に戻っている。一連の対応がまずかったとは思えない。それは後に共同通信自身も認めていた。
 とはいえ、先に、

同ホテル内で官邸対策室と連絡を取り合い対応を協議した結果、現段階ですぐに官邸に戻る必要はないと判断。予定通り映画を鑑賞するため、ホテルに隣接する映画館に入った。

 と書いておきながら、何の訂正も出さずに、

 小泉純一郎首相は23日午後6時すぎ、秘書官が差し出した「新潟で震度6強」のメモで地震発生を知った。映画鑑賞は取りやめ、秘書官は首相の動きを分刻みで発表。01年、えひめ丸事故の際、ゴルフを続けて批判を浴びた森喜朗前首相のケースがあるため、危機管理に落ち度がないことを示す狙いがあったようだ
 (強調は引用者)

などとしれっと書ける厚顔無恥には恐れ入る。共同通信の社員はどいつもこいつも「間違ったことをしたら謝る」ということを習わなかったのだろうか(ちなみに、報道被害について多数の著書をお持ちで共同通信OBの浅野健一はこれを知ったらどう思うだろう。是非コメントを伺いたい)。

被災地の視察の遅早で小泉批判

おとこのおばさん』で読んだ記事について。毎日新聞の「夕閑コラム(元論説委員・諏訪正人執筆)」にひどい記事が載っている。

 新潟中越地震から4日目になって、小泉純一郎首相は初めて現地を視察した。天使ならぬ首相のお通り。首相の胸にむらむらとしっとの炎が燃えた。「岡田克也民主党代表と“仇敵(きゅうてき)”田中真紀子元外相に先を越された。悔しい」

 一言で片づけてしまうなら、これは諏訪の白昼夢か妄想である。
 諏訪は大震災が起きたらいかに早く現地を視察するかということを疑いもなく前提にしているが、そもそもその前提からしておかしいとは考えなかったのだろうか。警備や視察の段取りに人手が割かれることで復旧が遅れる可能性を考えれば、視察に行くことが無条件に正しいなんて思いこめないはずだ。ちなみに、私は先に述べた理由から小泉首相が現地に行く必要はなかったと考える。

 もっとひどいのは報道ステーションのコメンテーター・加藤千洋である。『Irregular Expression』によると、加藤は、

阪神大震災時、村山元首相は2日で現地視察に向かったしかし、小泉首相は4日たってようやく現地視察に向かった。また、行くと言ったり行かないと言ったり決断が2転3転し、指揮に問題があるのではないか。

というようなことを述べたらしい。自衛隊にろくな命令も下さず多くの人を見殺しにした上に、後でのうのうと「何分初めてのことじゃったから」などと嘯いてみせた村山富市とそんなところで比較してどうしようというのだろう。
 小泉首相の悪いところの一つに、変に周りを意識して妥協し当初の主張を曲げてしまうところ(景気対策や靖國参拝前倒しなど)が挙げられるが、今回の視察についても、行く・行かないが二転三転したのは田中真紀子や岡田克也が先に行ったことを殊更ニュースにされたからではないだろうか。だからといって、小泉首相が免責されるわけではないが、現地視察をしなかったことを疑いもなく失点のように奉じて小泉首相の指揮を惑わせた当の本人が言うべき台詞ではなかろう。
Irregular Expression』でも批判されていたが、加藤がまず「深くものを考え」なければならないのではないか。

結局は政府批判がしたいだけ

 こうやって見てみると、所詮マスコミは何かにかこつけて政府批判がしたいだけに過ぎないことがよくわかる。自分たちの失態は覆い隠すくせに、政府の批判は捏造してでもやろうとするその精神はもはや理解不能である。
 理性的な判断もできず、ただ衝撃的なニュースだけを追い求めるマスコミが、「国民の知る権利を実現するため」と報道被害を撒き散らかすのには心底頭にくる。

 そもそも、マスコミなんざ「国民の知る権利」を充足するための使いっ走り(と言って悪ければ公僕・業者・代理人)に過ぎないその使いっ走りが(しかもリコール対象の粗悪な情報を垂れ流す、パシリもろくにできない三流業者が)何を勘違いしているのだ思い上がりも甚だしいマスコミのやっていることは「代理権の濫用」である

…語気が荒くなってしまった。少々取り乱したかも知れない。最後は優しく提言して締めることにする。

 報道の自由は大切な権利なんだから、慎重に使ってね(はーと)。
(了)

《関連記事》
ダメなもの「地震中継」
ダメなもの「地震災害に浮かれるクズ共」
ダメなもの「善意・同情の押しつけ」
・ダメなもの「感情論での政府批判」

《リンク先》
・mumur「【浅野健一】「僕の本当の姿もわかったんじゃないかな」「僕はおじいちゃんだからエッチで先にイっちゃう」 同志社浅野先生のセクハラ事情
   『mumurブログ

《トラックバック送信先》
・kogarasumaru「中越地震関連
   『小烏丸の日記@デースケドガー
・misaki「新潟地震、共同通信発「イメージ操作」ニュース。
   『娘通信♪
・おとこのおばさん「最近は毎日新聞がひどすぎやしないか
   『おとこのおばさん
・gori「テレビ局は先ず被災地に取材謝礼を払え
   『Irregular Expression

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2004年10月25日

ダメなもの「地震災害に浮かれるクズ共」

 前回(ダメなもの「地震中継」)の続きである。

マスコミのクズっぷり

 やっぱりマスコミは何にも変わっていなかったようだ。
 相変わらずショックと不安で一杯の被災者に「今のお気持ちは?」と平気でマイクを向けているが、『Marbrog.net』参照)。そんなインタビューを望んでいる視聴者がいるとマスコミの連中は本気で思っているのだろうか。
 こんな被災者に平気でマイクを向けるくらい空気が読めないだけあって、

午後11時。子供や老人はとっくに寝てる時間にも関わらず現場から生中継。家が危ないので車の中で寝る事を余儀なくされ、集団で車を停めている場所のまん前で強力ライトを焚いて生中継&でかい声でインタビューを行い睡眠妨害。 (『Marbrog.net』より)

とやりたい放題だそうだ。
 これらの迷惑行為をするために、マスコミの報道陣は物資不足に悩む現地でいち早く物資を買い占めたそうだ(これについてはちょっとソースを確認できなかった。どっかで見たんだけどなぁ)。
 はっきり言う。こいつらは阪神大震災から何も学んでなんかいない。相も変わらず二次被害(マスコミによる人災)をこれでもかと振りまいている。そこまで被災者に迷惑をかけないと報道一つ出来ない連中は今すぐ被災地から出て行け(ついでに日本からも出て行って欲しい)。

「安全神話」が崩壊したらしい

 新幹線が脱線したことについても、マスコミはただ「安全神話の崩壊」を嘆き、JRに事故原因の真相究明とやらを迫っている。200キロものスピードを出して走りながら、震度6の直下型の地震が来ても安全な体制(「安全神話」)を築けと言うのは無茶もいいとこである。
 200キロ以上ものスピードで走っているときに突発的に直下型の地震に襲われたのだ。直下型の地震だったため安全装置が働かなかったなどという話も出てはいるが、私はそれよりもまず、大惨事にならず(表現は悪いかも知れないが)あの程度で済んだことに驚いた。新幹線の脱線が大惨事にならなかった理由について、『大石英司の代替空港』ではあの状態で脱線しても団子にならずに済む基本設計の技術に言及しており(さらにそこからのリンクでこちらも参照頂きたい)、『log』では「時速200キロで走行中だったというのに転覆を逃れたのは、上越新幹線には線路の両脇に「雪解け溝」が掘ってあり、そこに車両がハマッたからだという。上越新幹線ならではの構造が今回は功を奏したというわけだ。確かに初期微動を感知せず、送電のストップ??列車停止というシステムが作動しなかった事に関しては、今後JRが見直さなければならない大きな課題に1つとなるだろう」と指摘されている。
 しかし、マスコミはこういう技術論には触れず、ただ「安全神話の崩壊」を嘆いているだけだ(毎日新聞「余録」など)。そこには今まで「安全神話」を築いてきた技術者に対する敬意もなければ、新幹線についての基本的な知識もない。せめてもうちょっと勉強してから記事を書いて頂きたい。これでは学級新聞レベルだ。
 そもそも、100%の安全なんてこの世の中にあるわけがなく、それこそ「安全神話」(もしくは妄想)である。そんなに「新幹線の無事故」という「安全神話」を貫徹したければ、新幹線を廃止する以外に方法はない。

国はタダで売るが、被災者からは金を取ろうとするジャスコ

あんた何様?日記』によれば、イオングループは新潟の被災地をみて物資の売り込みを画策したそうである。
 物資をタダで送れとも、支援・寄附しろと命令するつもりもない。ただ、他社が支援物資を寄附しているときに商魂たくましくあるのは非常にみっともない、とは思う。その後寄附に切り替えたときに物資を引き上げたのには、もう目も当てられない。格好悪すぎだ。
 今は経営がボロボロだけど、かつてダイエーは阪神大震災の時にいち早く店舗を開き物資(商品)を提供した。それと対照的である。
 対照的と言えば、弟(民主党党首・岡田克也)がやたら国を売ろうとする気前の良さとも対照的である。

21世紀にもなって易姓革命ですか?

 最後に、相変わらず自分の適当な発言で墓穴を掘っているのが菅直人である。「菅直人の今日の一言」にはこうある。

■天災 2004-10-23 (Sat)
 (前略)  それに加えて新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか。

■余震 2004-10-24 (Sun)
 (前略)  昨日の今日の一言について「不謹慎」との批判のメールを幾つかいただいた。台風の上陸が重なり、四国の被災地を視察して帰京した直後に地震のニュースがあり、これ以上災害が重ならないようにという気持ちで書いたもの。決して茶化したわけではないが、そのように感じられた方には謝りたい。

 すでに『徒然雑記帳』や『log』などで菅が易姓革命を訴えていることをネタにされている。どちらかと言うと、災害が重ならないように願えば、これらの天災の発生と何ら科学的因果関係を有さない小泉首相にその責任をなすりつけるようなチンピラの因縁レベルの不当な言いがかりも許されると思っている精神構造の方が気になるが、敢えてここは易姓革命に乗っかってみる。
 易姓革命とは、簡単に言えば、「徳」を失った為政者が他に「徳」を有するものに取って代わられることになる。それが「天」の意志である、とする思想である。
 とすると、菅が党首を務めていたときも、岡田克也に党首が変わった後も選挙で勝てなかったのも当然「天の意志」ということになる。要するに菅には「徳」がなかったわけであり、天に見放されていたということである。
 お遍路で自分を見つめ直しても、適当なことを言って自分の首を絞める癖は治らなかったようである。
(了)

《追記》
 文中でも取り上げた『大石英司の代替空港』の当該記事コメント欄に大石氏の的確な指摘があることを追記しておく。(2004.10.26)

《関連記事》
ダメなもの「地震中継」
・ダメなもの「地震災害に浮かれるクズ共」
ダメなもの「善意・同情の押しつけ」

《リンク先》
・「余録」
   『毎日新聞
・井上孝司「災害対策と UAV の活用
   『Kojii.net
・名塚元哉「言っておくけど、被災地はパフォーマンスの場ではない。
   『あんた何様?日記
・菅直人「菅直人の今日の一言
   『菅直人の「活動日誌」

《トラックバック送信先》
・おとこのおばさん「新幹線脱線に毎日新聞が狂喜?
   『おとこのおばさん
・MASA「【新潟地震】被災者に群がるマスゴミの醜さ
 〃「新潟地震4日目の反応
   『Marblog.net
・大石英司「SBC信越放送良くやった!
   『大石英司の代替空港
・ろぐ「新潟県中越地震災害義援金で同胞を助けよう
   『log
・gori「ジャスコのニッポン特売市
   『Irregular Expression
・雑感記録人「菅直人は徳の政治家か?
   『雑感記録帳
・misaki「新潟地震、マスコミ&新潟空港に怒り沸騰。
   『娘通信♪
・REDLOVER「遺族にインタビューとかするなよなあ
   『REDLOVER
・A.Yotti「明日から旅行。でも予報は雨・・・
 〃「30-50Yのアプローチ練習で上手くなるのだ(願望)
   『注文の多いゴルフ倶楽部

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2004年10月23日

ダメなもの「地震中継」

 今日の19時頃に新潟の方で大きな地震があった。震度5のかなり大きな地震で4人が亡くなられ、多数のけが人が出たそうである。その上、震度4の余震が30回以上も続いたそうだ。亡くなった方々には心よりお悔やみ申し上げると共に、地震の被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げる。

 ただ、ここでもマスコミ報道にうんざりさせられた。なぜマスコミ各局は何時間も同じVTRと同じ事を繰り返すだけの地震報道特別版組を続けるのか。被災地が混乱してろくに情報が集まっていないものを無理に続けようとする趣旨が理解できない。21時頃に地震情報を画面端のスーパーインポースに切り替えて通常の放送に戻したテロ朝はその点少しましだと思う(バラエティー番組でなく土曜ワイド劇場だったから放送しやすかっただけかも知れないが)。これを書いている2004年10月24日現在、民放各局は日テレ系列を除き通常番組に切り替えた。MBS(TBS系列)や関西テレビ(フジ系列)は地震情報のスーパーインポースすら流すのをやめてしまった。それもどうかと思うが、七時前から現在までひたすらだらだらと地震報道を続けた日テレの芸の無さよりはましであろう。
 結局、地震が起きて数時間後にある程度情報がまとまってきた。だったら、地震直後からの数時間の中継や地震報道はいったい何だったのだろうか。
 被災地の新潟には逐次的な情報が必要だろう。しかし、被災者が必要とする情報を全国的に共有する必要性はほとんど無いと言っていい。30分か1時間ほどで第一報を伝えた後は、「被害状況などの情報はある程度まとまった段階でお知らせします」として通常番組に戻れば良かったと私は思う。逐次情報は画面端にスーパーで流すかニュース速報で対応すれば十分である。

 別に私はバラエティー番組が見たかったから地震報道に苦言を呈しているわけではない。過剰な災害報道はろくな結果を生みはしないからこそ批判しているのである。

 まず、ことさら被害が大きいと地震報道をすることはテレビ局の自己満足ではないのか。一部の視聴者が「新潟が大変なことになっているのにバラエティー番組を流すなど不謹慎だ!」とか抗議してくるのだろう。それに対する配慮という意味合いもあるのだろう。が、普通に考えれば何時間もほとんど代わり映えのない地震情報など、新潟に縁もゆかりもない大多数の視聴者は求めていないことくらいわかりそうなものである。
 ちなみに、報道時に通常番組を報道するのは果たして不謹慎なのだろうか。
 私は「新潟が大変なことになっているのにバラエティー番組を流すなど不謹慎だ!」みたいな意見自体、相手にする必要などないと思う。嫌ならテレビを見なければ良いだけだし、そう言っている当の視聴者に限ってビールを飲みながら地震報道を見て「エラいことになってるなぁ、可哀想に…」などと言っていたりするのだ。
 これは言い過ぎだとしても、じゃあ謹慎すべきはテレビだけなのか、全国の居酒屋などで飲んでいる人は不謹慎ではないのか、同じ時間にラブホテルにいる連中は不謹慎ではないのか。それ以前に、そもそも大規模の地震被害だけ謹慎すべきなのか、交通事故に遭って怪我をしたり命を落としたりする人は山ほどいるが、その人達に対しては謹慎しなくても良いのか。
 だからといって、「新潟の地震なんか俺には関係ないね」などと言うつもりも断じてない。しかし「新潟は地震で大変なことになってるね」と同情する気持ちも日常の中ですぐに消えていくのが大方の現実である。それを、地震情報を見続けろ、被災者のことを思って謹慎しろ、などというのはちょっとズレていると思う。
 こうしてよくよく考えてみると、テレビ局に上記のような抗議を寄せる連中は、他人に恣意的な「善意」を押しつける独善的なファシストであるとすら言えよう。
 この、同情と独善の話はどんどん続いてしまいそう