1月2日に10時間ドラマ「国盗り物語」を観てしまったせいで、信長について読みたくなってきた。そこで昔買って途中(四分の三くらい)まで読んでほったらかしになっていた秋山駿『信長』を改めて読み直してみた。といっても、夜寝る前に(それも気が向いたときに)一章くらいづつ読み進めているので、同書中の信長はまだ浅井の裏切りにあって京へ逃げ帰った辺りにいる。
この「信長」、文庫本の表紙には以下のような紹介がなされている。
日本史上、もっとも非凡、もっとも独創的、もっとも不可解な男――信長。桶狭間から本能寺まで、従来の日本的な発想では理解できなかった信長の行動を、プルターク『英雄伝』、スタンダールの『ナポレオン』など、東西の古典を縦横に引いて明らかにしてゆく。並みいる世界の指導者と対比し、その比類なきスケールの「天才性」に迫る、前人未踏の力業。野間文芸賞、毎日出版文化賞受賞作。
私も、秋山が言うように、信長という人物が日本的な発想からかけ離れた人物であることには同意するし、その意味で「天才」であることについても同意する。ナポレオンなど、文化を越えた英雄と対比して描き出そうとする試みも面白いし、秋山が描き出す「天才性」は非常に興味深いし納得するものも少なからずある。
史料の評価が恣意的では?
しかし、そう感じながらも、一方で、どうも読んでいて不満を感じてしまう部分があるのだ。それは史料(および資料)の評価についてである。
秋山は信長の「天才性」をある程度モデル化して読者に呈示する。そのモデル自体はなかなかに面白いものが多いのだが、そのモデルに照らして史料(『信長公記』や『武功夜話』など)の記述を「私はこれを疑う」「私はこれを信じない」と言われるとちょっと引っかかってしまうのだ。「記述者が信長の天才性を理解できずに書いたからこうなったのだ」という反論を想定した上で敢えて言わせてもらうなら、秋山は自分の中にあるモデルに適合するかしないかで史料を選別しているように見える部分があるのだ。平たく言えば、秋山が想定した天才・信長のモデルという結論から演繹した評価じゃないのか、と思ってしまう*のである。
* 本来なら、同書を引用してどこがどうと指摘しなければならないのだが、時間的な制約からそれを割愛させて頂いた。具体的な批評ではなく、私の漠然とした印象の記述にとどまったことをお断りしておくとともに、読者の寛恕を乞いたい。
史料研究の不足を感じてしまう
あと、全体的に感じるのが史料研究の不足である。桶狭間については信長の父・信秀がかつてそれに近いことをやっていた事や、楽市・楽座についても斎藤道三という先例があった事も信長の天才性(特にその独創性)を検討する際には視野に入れるべきであろう。
個人的に物足りなかったのが「キリスト教vs仏教」の宗論についての記述である。これについてはフロイスの『日本史』があるのだが、ここに信長の非凡性があらわれているだけに、それに触れられていないことが残念でならない。
これについては、香西秀信『論争と「詭弁」』で面白い分析が展開されている。
ちなみに、香西はレトリックを研究する大学教授であり、その著作は秀作揃いである。香西の『反論の技術』は文句なしの名著であるし、個人的に一番気に入っている『「論理戦」に勝つ技術』は読みやすくて面白いのでオススメである。
詳細は同書をご覧いただくとして、ここでは最低限の紹介にとどめることにする。
イエズス会の修道士であるフロイス・ロレンソ組(ちなみに、ロレンソは日本人である)と仏教界代表(?)である日乗上人が信長の御前で宗論(宗教論争)をすることとなった。その中で日乗が「なぜ人間はデウスを讃えなければならないのか?」という質問を発したのだが、それに対してロレンソはこう答える。
ロレンソ(曰く)、「人々は(デウス様)から絶えず、大いなる、かつ限りない恩恵を蒙っているからである。また人々は、(デウス様)を認め、愛し得るように生命と理性を授かってるのですから、ことに(デウス様)を拝し、仕え奉る義務があるのです。」
(香西・前掲115頁)
これに対して、信長が突然議論に割り込んでくる。
「汝が申すがごとくであるならばじゃ、分別をわきまえぬ者、もしくは生まれつきの馬鹿頓馬の連中は(どうなるか)。奴らは(デウス)を讃えずとも差し支えはなかろう。(奴ら) にそうせよと(言っても)無理な話だからな。」
(香西・前掲115-6頁)
この信長の質問を香西はこう分析している。
この質問は、信長の、当時の日本人としては極めて特異な精神を示している。彼は明らかに、事実よりも、ロレンソの論の組み立ての方に興味を持ったのだ。
(香西・前掲116頁)
つまり、一般人ならば本当にデウスが理性を与えたかどうかに考えが向くだろうが、信長にとってはデウスが理性を与えたかどうかなどどうでもよかったのである。
信長がやったことは、相手の議論に乗っかり、相手が出した前提や理論を推し進めること矛盾や不合理を発見し、内部から議論を破壊しようとすることである。
これについて香西の分析を要約すると以下のようなことになる。すなわち、世の中にはデウスから理性を授かったとは到底思えない「馬鹿頓馬の連中」がいる。彼らはデウスから理性を授かっていない以上、デウスを讃える義務はないことになる。また「(デウス様)を認め、愛し得るように生命と理性を授かってるのですから」と言われたって、愛し得るようにと授かるはずの理性を授かっていない以上、「(奴ら) にそうせよと(言っても)無理な話だ」ということになる。要するに、人間にはデウスを奉らなければならない者と、デウスを奉らなくてもよいものとの二種類が存在することになる。が、それでよいか? と。
これに対してロレンソは更に切り返すのだが、これ以降の紹介は割愛する。興味のある方は同書をご覧いただきたい。
秋山も書いているのだが、信長の天才性の一つにはこういった発想が挙げられると思う。当時の日本人は目に見えるもの、具体的なものに固執するという側面が強かったことをフロイスは『日本史』の中で指摘している。ポルトガル人から鉄砲を伝えられたときも、どういう原理で鉄砲から弾が発射されるかということは理解しないままオリジナルそっくりの火縄銃を作ってしまったという有名な話もあるが、これなども日本人が具体的なものには非常に強かったが抽象的な思考については弱かったことを示す一例であろう。
そう言う日本という文化の中で、具体的な事実に固執せず、論理を追いかけてゆく信長の発想は『日本史』を注意して読めば浮かび上がってきたはずである。
秋山は『日本史』に目を通さなかったのだろうか。目を通した上で、これらのエピソードに信長の天才性を、百歩譲って発想の特異性を感じなかったというのなら、ちょっと天才を描き出すというコンセプトを掲げてる関係でどうかと思う。
余談になるが、信長の理屈っぽさについて、香西は同書103頁で以下のようなエピソードを挙げている。
彼の父が尾張で瀕死になった時、彼は父の生命について祈祷することを仏僧らに願い、父が病気から回復するかどうか訊ねた。彼らは彼が回復するであろうと保証した。しかるに彼は数日後に世を去った。そこで信長は仏僧らをある寺院に監禁し、外から戸を締め、貴僧らは父の健康について虚偽を申し立てたから、今や自らの生命につきさらに念を入れて偶像に祈るがよい、と言い、そして彼らを外から包囲した後、彼らのうち数人を射殺せしめた。
恐らく信長は祈祷の効果なぞはなっから信じていなかったのだろう。ただ、その祈祷がインチキであることを僧侶たちの命でもって証明する辺り、先の議論と似ていないだろうか。相手の言い分を認めた上で、それを推し進めて破綻に追い込む。いわば詰め腹を切らせるような発想も、信長の天才性を探る上で興味深いものだと思う。
秋山には、こういった発想についても言及して欲しかった。
(了)
《参考文献》
・秋山駿『信長』(新潮文庫)
・香西秀信『論争と「詭弁」』(丸善ライブラリー)
〃『反論の技術』(明治図書)
〃『「論理戦」に勝つ技術』(PHP研究所)
posted by だっしー at 10:00| 大阪

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