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2004年11月13日

ダメなもの「おられる」

 今回扱うテーマは「敬語」である。が、その初歩の初歩であり(中学校で習うことをおおざっぱに言うだけ)目新しいこともなければ難しいこともない(では今までの記事に「目新しいこと」や「難しいこと」があったのかと切り替えされると自信がないが)。

 敬語は難しいとよく言われる。確かに私もきちんとした敬語を使う自信はないし、ましてとっさの時にきちんとした敬語を用いた言葉遣いというのはなかなか出てこないときがある。中学校で国文法を習ったときにも敬語だけはよくわからなかった。とりあえず「です・ます」でしゃべっときゃあいいか、くらいの理解しかなかった。
 高校、大学の頃に「きちんとした敬語が使えないといけない」と思って敬語の本を何冊か読んでみたが、「こういうときにはこう言いましょう」「こういう言葉遣いは間違いです」とかを羅列した本ばかりだったので「こんなのを一々覚えんといかんのか…面倒くさぁ」と思っただけであまり理解できなかった。今から考えれば多分単に理解力がなかっただけだったのかも知れない。
 古文の授業でも先生が「尊敬語」だの「謙譲語」だのを黒板に図示したりするのだが、それらの概念もよく理解できなかった。国文法の概説書が欲しいと思ったのもこの辺のコンプレックス故のことだと思う。

 尊敬語と謙譲語について自分の中で腑に落ちて理解できたのは、恥ずかしながら中学生に国文法を教えるようになってからである。人にものを教えるときの学習効果はやはり凄いものがある。
 敬語において最低限理解しておいてほしいことを自分なりに考えた末に辿り着いたのが以下のことである。

 敬意を表す方法の根本は、「相手を上に、自分を下に」という「上下関係」の一言に尽きる(イメージとしては「水戸黄門」で印籠出したら全員土下座するアレである)。
 そして、相手を上に持ち上げて上下の落差をつけるのが「尊敬語」であり、自分がへりくだることで相対的に相手を上に位置づけて上下の落差を生み出すのが「謙譲語」である(ちなみに、丁寧語は「金」を「お金」というように、単に丁寧に言うだけ)。

 用法上のルールとしては、尊敬語は相手の動作に用い、謙譲語は自分の動作に使う。持ち上げるのが相手で、へりくだる(下げる)のが自分であることからすれば自然こうなることになる。
 重要なのは、敬語を用いる動作の主体は誰か?(相手側=尊敬、自分側=謙譲)ということである。

 これがわかっていると「つまらないものですが…」と近所に旅の土産をもってきたときに、

 ああ、この人はつまらないものを俺に押しつけてるのではなく『あなたから見ればつまらないものに映るかも知れませんが、私としては一生懸命お口に合うものを選んだのでどうぞお受け取り下さい』って謙譲の意味で言ってるのだな。なんと奥ゆかしい人だろう。

と考えられるので、「つまらんものなら持ってくるな!」とツッコミを入れて徒に近所づきあいを悪くすることもなくなる。

 かなり話がわきへそれた。
 こういう「尊敬」「謙譲」の概念からすれば、「おられる」という表現は明らかに間違っていることになる。
「おる」(正仮名遣いでは「をる」)は、基本的に自分の存在を表す「いる」(正仮名では「ゐる」)の謙譲語である。例文をみても、「私はここにおります」「昨日まで札幌におりました」というように「おる」は自分(側)に使う言葉である。
 このへりくだりを表す謙譲語を相手の動作に用いるのは明らかにおかしい。
 で、どうしたかというと謙譲語の「おる」に尊敬の助動詞「られる」をひっつけたわけである。下げたり上げたりと訳がわからない。
 ちなみに、「おられる」という意味のことをいいたかったら基本的には「いらっしゃる」というべきである。ただし、表現上こだわって別の用例を敢えて用いる分には一向に構わないと思う(そういう裏を読むのも読解の一つである)。

 この「おられる」の誤用は巷でも結構広まっているように思う。
 さすがにどうかと思ったのは教え子から聞いた話である。某中学校では生活指導の先生が「職員室に入るときは『○○先生おられますか?』と訊きなさい」と生徒に指導しているそうである。生徒に敬語を用いるという意識を持たせることには賛成だが、間違った敬語を教えるのはやめて欲しい。同僚の国語教師は何をやっているのだろうか。
 もしその生活指導の先生が国語の教師なら…もはや何も言うまい。
(了)

posted by だっしー at 21:25| 大阪 ????| Comment(4) | TrackBack(1) | 文化・教養・学問・雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月01日

ダメなもの「国文法の扱い」

《前書き》
 記事のアップが遅れてしまい申し訳ありません。
 実は、今まではテキストエディタ(正確には「nami2000」というアウトラインエディタですが)にタグを打ち込みながら書いていたのですが、世の中に「ブログエディタ」なるWYSIWYG(What You See Is What You Get:簡単に言えばタグ表記じゃなくて、アップされた状態で編集できるってこと)で編集できる上に、アップまでできてしまう便利なソフトがあることを知り、記事そっちのけでブログエディタ探しに没頭していたんです。中身よりも道具にばかり凝ってしまうのは私の悪い癖です
 初めは「ubicast Blogger」が良いかなと思ったのですが、カスタマイズやhtml・WYSIWYG切り替えができる点などで、「BlogWrite」というソフトにしました。しばらく使ってみて良かったらレジストするつもりです。
 って、全然謝罪になってませんね。ごめんなさい。

 トラックバックを頂いた中で『226TRAX』というブログの記事が他のブログの記事と毛色が変わっていて面白かった。マスコミにどうやって嫌がらせをするか、という記事だったので笑いながら拝読したが、これはなかなか効くと思う。少なくともマスコミに「自分たちが嫌われている」という認識を持たせるくらいのことはできるだろう。

 以下は本文。


 この間、国文法の参考書を探しに本屋に足を運んだ。
 塾で中学生に国文法を教えている関係で、自分用に自習用とレファレンス用を兼ねた詳しい目の参考書が欲しかったのだが、できれば口語文法(学校文法)だけではなく文語文法(いわゆる古文の文法だけでなく、正字・正かななんかを解説したもの)を探してみた。個人的には『ロイヤル英文法』みたいなのをイメージして探してみた。
 探してみてびっくりした。詳細な国文法の参考書以前の問題である。本屋には中学生用の受験参考書しか置いていなかったからだ。

 英文法などでは、大学受験用とはいえ、詳細な英文法の概説書(例えば先に挙げた『ロイヤル英文法』など)がこれでもかとばかりに売られている。入門書から講義形式のわかりやすいもの、学者の書いた(大学受験でそこまで必要か?というほど)詳細なものなど、選ぶのに悩むくらいバラエティーに富んでいる。
 もっとも、これは英文法に限ったことではない。歴史や科学、数学や現代文・古文といった科目については、参考書や問題集が嫌というほど揃っている。
 そしてそれは、大学受験後も結構役に立ったりする。大学受験の参考書は受験後も概略を調べる上では結構重宝するのだ(現代文の「国語便覧」や高校の歴史教科書などはちょっとしたレファレンス本として今でも使っている)。

 しかし、こと国文法についてはこういうレベルの本がほとんど無いのが現状である。
 私が求めているのがややマニアックなだけかも知れない。需要がないから作っていないだけなのかもしれないし、専門家向けの詳細なものなら探せばあるのかもしれない。
 ただ、一億人以上が用いている母語の文法書が中学生の参考書か、専門書しかないという極端な状況はちょっとおかしいのではないか。助詞などの用法・用例について細かく調べたいときに参考文献がほとんどないに等しいというのは、個人的には非常に不便である。同様の不便を感じている人はいないのだろうか。
 少なくとも、日本語の文法を学ぶときに、学校文法に盲従するのが嫌なら日本語研究者レベルの専門書を読みこなすか金谷武洋『日本語文法の謎を解く』など、そして正字正かなだと福田恆存『私の国語教室』か『旧字旧かな入門』といった各論的な書物を読んで、自分で日本語文法を取り巻く状況を押さえて行かねばならない、という現状には疑問を抱かざるを得ない。

 そもそも、日本語の文法というもの自体、英語の文法をほぼそのまま当てはめた杜撰なものであるという批判がある。しかし、そういった議論自体、日本語学会あたりのマニアックなところで行われているだけで、国民に教養レベルで伝わることがほとんど無い。日本語ブームなどと言われ、齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』などが売れたりもしているが、こと文法面(正字・正かなの再評価や、国文法体系の再検討など)についてはほとんど一顧だにされていない。

 学校文法を見渡した後、その不合理性を指摘し独自の体系を構築するような国文法の概説書がない、というのは国語文法を取り巻く現状を象徴しているように思えてならない。
(了)

《参考文献》
・綿貫陽・他『ロイヤル英文法』(旺文社)
・金谷武洋『日本語文法の謎を解く』(ちくま新書)
・福田恆存『私の国語教室』(原題は正字・文春文庫)
・府川充男・小池和夫『旧字旧かな入門』(柏書房)
・齋藤孝『声に出して読みたい日本語』(草思社)

《リンク先》
・『nami2000の紹介
・『ubicast Blogger 公式サイト
・『BlogWrite

《トラックバック送信先》
・川村けんと「正字正假名遣ひの獎め二
   『悪の教典楽 天市場店

posted by だっしー at 13:05| 大阪 ????| Comment(6) | TrackBack(1) | 文化・教養・学問・雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月18日

ダメなもの「忠臣蔵」(1)

 日本の年末と言えば「忠臣蔵」である。今年はテロ朝が10月18日からワンクールでやるそうである
 私も中学生くらいまでは忠臣蔵が好きだった。単純に、亡き主君の仇を討つというわかりやすいストーリーに惹かれたからだ。
 しかし、その好きが高じて井沢元彦『忠臣蔵元禄十五年の反逆』(新潮文庫・絶版)を読んだとき、私が今まで抱いていた忠臣蔵観は根底から覆された。よくよく考えてみれば、忠臣蔵のストーリーにはフィクションでしかありえない部分が多すぎることに気づかされたのである。

松の廊下刃傷事件の理由

 芝居では吉良が賄賂の少なさに腹を立て、その腹いせに浅野内匠頭をいじめ(衣装が何かと問われたときにわざと上下だと言っただとか)、面前でバカにしただとか色々言われているが、冷静に考えればそんなことまずあり得ない。
 賄賂というと聞こえが悪いが、要は中元・歳暮のような「挨拶」に過ぎない。また、そういう「賄賂」にも相場があり、当時各藩でその相場についての意見交換などは頻繁になされていたそうである。
 それに、浅野は勅使接待役であり、吉良はその作法を教えるのが役目である。もし浅野に粗相があれば吉良も監督不行届で連帯責任を負うことになる。そう考えれば芝居にあるような勅使接待の仕事を失敗させるような嫌がらせなど、ないと考える方が自然である。
 最近有力(?)なのは浅野内匠頭が精神病だったという説である。キチガイだったとまでは断言出来ないが、突発的に「キレる」ようなことはあったようである(史料にもそれらしい記述が残っている)。
 この件に関してあちこち見ているとこういうサイトに行き当たった。浅野の「遺恨」だけでこれだけの説があるとは知らなかった。興味があればご一読をすすめる。

吉良名君説に一言

 浅野が何故吉良に襲いかかったのかはよくわからない。ただ、それを考える上で一言言っておきたいことがある。それは「吉良名君説」に対してである。
 確かに、吉良は地元領民に慕われた名君だった。吉良は「赤い馬」つまりは駄馬に乗って領内を視察して領民と親しく接し、新田開発を精力的に行い、また「黄金堤」と呼ばれる堤防を築いて水害を防いだり、塩田を作って製塩事業を興した。一方の浅野は切腹の報が届くと領民が餅をついて喜んだことに比べれば、間違いなく名君だったと言えそうである。
 が、だからといって名君と嫌みな人格が併存できないわけではない。領民には優しくても大名・旗本には「いけ好かない奴だ」と嫌われていることだって十分考えられる。「名君だった」「吉良に落ち度はない」ということから、吉良の人格すべてを肯定しかねない、忠臣蔵の反動みたいな物言いもちょっと違うのではないか。名君だからと人格も立派、とするのは別の意味で「わかりやすい結論」に飛びついているようにも思える。

松の廊下刃傷事件についての私見

 私としては、性格説・病気説・予算説あたりに説得力を感じる。これら三説については先ほどのサイトから引用させて頂く。引用に際し、太字などで強調したり注を入れたりなど、一部修正したことをお断りしておく。

 その他、傲慢な吉良と短気で人に屈することのできない浅野がぶつかったという「性格説」内匠頭は痞(つかえ)の病(神経症的な気の病)というのを持病としていて事件当日の天候不順と前日からの疲れで感情を爆発させたという「病気説」などがある。

 江戸学の大家の三田村鳶魚(みたむら・えんぎょ)が支持し、最近の諸書で穏当なものとされているのが、浅野内匠頭が勅使接待の費用を節約しすぎて指導役である高家の吉良上野介と行き違いを生じたという「予算説」である。
 浅野内匠頭長矩は良く言えば節倹、悪く言えば吝嗇(りんしょく・注:ケチのこと)であったという。当時、勅使接待の前後に大判一枚(またはそれに相当する小判十両)を指導役の高家(吉良上野介)に贈ることになっていた。この贈り物はその時代常識となっていた進物、付け届けの類であって、賄賂の範疇に入るものではなかった。しかし内匠頭はこれを終わってからだけで良いと言った。
 そして、老中から勅使饗応があまり華美にならぬようとの指導があったのを受け、元禄十年に伊藤出雲守が勅使接待を務めた際の予算1200両と十八年前に自ら務めた時の400両を参考として、予算を700両と決めてしまった。これは、貨幣改鋳によるインフレーションで十八年前とは貨幣価値が異なるのを考慮していない上に前年と比べてもダウンしている。
 これでは公家や朝廷と幕府との間を取り持つ高家の吉良上野介が承知するわけはなく、様々な行き違いを生じ、倨傲な吉良と短気な浅野という二人の性格的な問題も加わって、そして…というわけである。

 これら三つが複合して浅野がキレたのではないか、というのが私の考えである。もっとも、考えと言っても漠然とそう感じたくらいで、どっちかというと感想に過ぎないのだが…。

 とにかく、あれこれ知れば知るほど、「忠臣蔵」はいかにも「物語」であり、脇が甘いと感じられるようになってきた。そして、だんだん赤穂浪士にも肩入れしなくなった。最近では、「忠臣蔵」という物語に偽善臭さを感じてしまい、「忠臣蔵」こそが「わかりやすい答えに飛びつく民衆」の象徴であるなどと思ったりもする(これはさすがに言い過ぎか)。少なくとも、当時の「法」においても吉良に落ち度はなく、一年後に討ち入りの憂き目に遭い、その後何百年後もヒール(悪役)扱いされ続ける吉良には同情を禁じ得ない。
(この項つづく)

《参考文献》
・井沢元彦『忠臣蔵元禄十五年の反逆』(新潮文庫・絶版)

《リンク先》
・「忠臣蔵」(テレビ朝日)
・「吉良上野介」『ORII'S WEBSITE

posted by だっしー at 12:29| 大阪 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化・教養・学問・雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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