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2005年04月27日

深見友紀子のコメントを拝読して

 以前書いたパートナー解消訴訟(文末の関連記事を参照のこと)について、原告・深見友紀子のサイトでまた取り上げられていた(掲示板で教えてくださりありがとうございました、よしさん)。
 拙文の至らなさ故か、私の意図するところが深見に伝わっていないようなので、繰り返しになるが拙文の解題を交えながらコメントへの回答をすることにする。

「事実の誤認」は誤認(もしくは誤解)

 このサイトの著者Dさん*は、私をジェンダーフリーの旗手と決め付け、相手の男性の親が孫を欲しがった、長男には病気か障害がある、相手の男性が長男を施設に入れようとしたのにはよほどの理由があるのだろうとしていますが、そのすべてが事実ではありません。こうした事実の誤認は、…(以下略・強調引用者)

* 文中のDさんというのはだっしーのこと。

 太字の箇所は正確性を欠く。私はダメなもの「パートナー関係」(2)において以下のように書いた。

 判決には詳細な事情が記載されていないので憶測になるが、第一子(長女)について多少好意的に推測するなら、Y男の親が「孫が欲しい」と切望していたのかも知れない。Y男の親が出産後、X女に対し出産費用等として約650万円も支払っていることや、長女がY男の母の手で養育されていること、Y男とA女の結婚後長男はY男に引き取られているのに対し、長女はY男の母と二人暮らしを続けていることから私はそう考えた
 長男の方については詳しい事情が書いていないのでよくわからない。生まれてからY男がA女と結婚するまで施設で養育されていたというのは一見すると驚いてしまうが、一卵性双生児一方が死亡するという異常出産ということなどから考えると、ひょっとしたら長男の方は病気なり障害なりを抱えていたのかも知れない我が子を施設で養育すること自体、よほどの理由があったと思いたい。(強調引用者)

 この箇所については、判決文から伺える断片的な事実から憶測で書いたので必要以上にそれを明示する形を取ったつもりである。それを「事実の誤認」と言われても困ってしまうわけで、不明瞭な書き方であったならそれを謝り、ここに憶測で書いたことを改めて明記しておく。そして、こういう憶測をなぜ書いたかについては次項で説明する。

想像することと、それを書くかどうかの判断は別のもの

「こうした事実の誤認は、」以下について。

こうした事実の誤認は、判断材料が少ないためというよりもむしろ、経験の浅さあるいは狭さや、常識に囚われてしまう素直な性格に起因していると思います。社会を見抜いていく想像力が欠如しているのです。このことは2チャンネルに書き込む若者にも顕著な傾向ですが、Dさんは"法曹の卵"なのですから、もっと社会に目を開き、想像力を働かせる必要があるのではないでしょうか。

 これについては水曜小論:「私は代理母か」への回答で書いたことを敷衍しておく。

 深見が「事実の誤認」という私の憶測についてであるが、私は子供が当初の約束である父親の手によって養育されていないことにつき、真っ先に「母親ははなっから育てる気なんて無いし、父親の方は口だけでよう育てなかった。子供が宙ぶらりんになったのかな?」と想像した。

 でも、そう思ったからといってすぐさまそう書くわけではない。たとえそうだったとしても、言葉を選ぶ、ということはいくらでもあるはずだ(例えば、身内を誘拐された家族の人に「客観的に考えればもう殺されてますね」何て言わないだとか)。
 そういう意味で私は「常識に囚われてしまう素直な性格」なのだろう。「この子たち、ええ加減な両親に愛されるどころか迷惑がられた存在だった」なんて失礼なこと書けるわけがない、というのが常識だと私は思うからである。だからこそ、子供たちの養育について「のっぴきならない事情があったのでは?」といろいろ想像して書いたのだ。

子供が良いと言えば全てが正当化されるのか?

 続いて深見はこう書いている。

 Dさんは、私がコラムを書き進めるにつれ、…(中略)…と同サイトで謝罪しています。ここでもし、私の娘が「他人がいろいろと想像するのは勝手だけど、アタシは何も傷ついていない」と反論すれば、「子どもが不憫」と言ったことについても謝罪するのでしょうか。

 これについては今のところ謝罪も撤回もするつもりはない。娘さんが傷ついたかどうかという結果が、娘さんの心を深く傷つけかねない危険な発言・行為までをも正当化するとは思わないからだ。比喩的に言えば、娘さんの心を傷つけるという既遂結果は生じなかったが、既遂結果が生じなかったことが未遂の責任までをも正当化するわけではない(し、もっと言えば、殺意を以て刃物で人を襲えば相手が死ななくても殺人未遂罪にはなる)、ということである。
 ここで重要なのは深見が裁判上・ネット上で公開している、以下のような見解・意見が一般的に見て子供の心を傷つけかねない蓋然性を有しているかどうかである。

 社会に出るのがとても遅れたため、子どもをもつことなど考えてもいなかった私に「自分が育てるから子どもが欲しい」と○○は執拗に頼んだのです。その執拗さは尋常ではありませんでした。度重なる話し合いの結果、「出産・養育費用は○○が負担、その代わり、○○は私の出産後の生活の面倒は一切みない」という条件で私は子どもを産むことにしました

 自分で育てるという約束はどうしたの、と問い詰めたことも何度かありましたが、せっかく産んだ子どもの生存が脅かされているわけでもないですし、私は自分で育てるのならば産んでいませんでしたから、放っておくことにしました
 (いずれも「コラム 6.私は代理母か」より。強調引用者)

 専門で勉強したわけではないが、実の親が子供の存在を望んでいない(いなかった)という発言は十分心理的なダメージとなりうる、というのを心理学・精神分析学の本などで度々読んだことがある。昨今DVで注目される育児放棄(ネグレクト)などはその際たるものであるはずだ。育児放棄ほど直接かつ悪質ではないにせよ、上記表現や、養育を放棄する旨の公正証書を巻くことは、本質的にそれに類する行為である。
 子供にとって自分を必要としてくれる人がいることと言うのは精神的にプラスになるし、その逆はマイナスになる。これはイデオロギーどうこうの問題ではない。深見のやっている行為は社会通念上子供の虐待に類すべき行為であることを、少なくとも非難に値する行為であることを指摘しているだけである。

 では逆にお訊きしたいのだが、娘さんが良いと言えば親は何をしても良いのか? 娘さんの心が傷つかなければあらゆる行為は正当化されるのか?
 そんなものは浅薄な小理屈であり、冗談ではない、というのが私見である。

* あと、もし娘さんが傷つかなかったとしても、それは母を慕う情が無意識的に母を正当化し、私を否定する結果を生じさせるだけかも知れないことも言い添えておく。
 人間辛い事実からは目を背けたがるものである。母親に自分が必要とされていなかった、またそれを公然と表明している事実など、通常であれば辛く苦しく認めがたいものである。だからこそ、意識的にせよ無意識的にせよ、その事実を拒絶し考えないようにすることだって十分考えられる。
 考えられる心理の一パターンをここに指摘しておく。

子供を中心とする近代家族主義?

  Dさんの主張は、見ず知らずの子どもに対して「不憫である」「被害者」、親に対して「子を犠牲にしている」「親のエゴ」「残酷」と言っていることからもわかるように、子どもを中心とする近代家族主義に基づくものです。当人たちでさえ"??主義"という確固としたものであることを気づかないぐらい、広く浸透し、日常化した主義であり、戦後になって登場した比較的新しい主義です。

 こんなこと一々言っても仕方ないのかも知れないが、私が「不憫である」だとか「被害者」だとか言ったのは、究極的には、前項で指摘した母親からのネグレクトや「俺が育てる」という約束を果たさないいい加減な父親、そしてその二人が法廷で泥仕合をする、これら一連のことを指しているつもりである。パートナー関係だのが破綻して、自分たちの出生にまつわる事情までが最高裁判例として広く公開される、しかもあろうことか母親は自分に対してひどいことを言っている。これを「不憫」「被害者」と言わずして何と表現すればいいのであろうか。

 この近代家族主義とは、子どもを持ち出して親の自由な選択を制限してこそ再生産されるイデオロギーです。「三歳神話」に代表されるように、「母」の役割が他のものと取り替えられるのを非常に嫌い、子どもを他の人に預けたり、保育所に頼ったりするのを基本的に嫌悪します。彼らは、おそらく産んで育てていない私の行動など犯罪ぐらいにしか思えないでしょう。

 一文目について。
 確かに近代家族主義自体は最近できたイデオロギーである。なぜなら、親の自由な選択自体が、もっと言えば個人の自由という概念自体が、近代市民革命を経て誕生した歴史的に新しい「イデオロギー」に過ぎないのであるからだ。
 あと、子供を持ちだして親の自由な選択を制限し、子育てをさせるのは、およそ人類の歴史上かなりの普遍性を有するイデオロギー(というよりも社会システム)である。ちなみにこれは、人間が他の動物と違って育児本能が壊れているから生み出された文化・文明(共同幻想)だというのが私見であり、時代に応じて色々バリエーションはあるのだろうが、基本的に子供を養育することを親をはじめとする大人に強制するという根本は変わってないように思う。

 二文目について。
 近代家族主義イデオロギーがそういうものなのかは措くとしても、私はここで書かれているようなことをそもそも想定していないので、「あっそう。で?」としか言えない。
 ちなみに私は保育所に預けられていたし、小学校に上がってからも授業が終わると学童保育に行っていた。私はそれらを嫌悪する気も、仕事を始めた母に(子供の頃にワガママを言うことはあっても)それを否定する気も全くない。

 三文目について。
 保育所や他の人に子供を預ける親と、はなっから養育を放棄して一切タッチしないと公正証書まで巻く親を同一視するわけにはいかないだろう。犯罪者だとは思わないが、ろくでもない親だとは思う。

言い繕うより先に自分のプラス面・マイナス面を直視すべき

 続く文中における、少子化云々についての記述は私の論旨と関係ないので触れない。近代家族主義者という概念も前述の通り私に向けられた批判としては失当であるから無視する。 

 近代家族主義者の視点は1つの作為的な視点に過ぎません。ちょっと想像力を働かせ、別の視点に立てれば、私は女性が産む平均以上の子どもを産み、専門的知識により多くの子どもたちに音楽を教え、今までにしてきた経験から、若い女子大生たちの将来を応援している、非常に社会貢献度が高い女とみなすこともできます。

 良いように言えばこう言えなくもないだろう。が、これだって一つの作為的な視点に過ぎない。あけすけに言えば、自分に都合の良い箇所をつぎはぎしただけではないか。そういう一面も否定しはしないが、私が再三言っているのはその一方で子供たちにしたこと(再三書いているのでもう繰り返さない)にも思いを馳せろ、ということである。

私の批判は「卑怯である」という一点へ収束する

 色々書いてきたが、結局私が言いたいことは、頼まれて子どもを産んだだけで、仕事の邪魔扱いまでした深見が、後になって「子供がいるのに」と子供を持ちだすのは卑怯だということである。
 はっきり言う。出産の大変さだの仕事の支障だのと色々言っているが、そんなものは全部ひっくるめて深見と元パートナーとの間の都合であって、元パートナーのために産んだと言うことを強調されればされるほど「ここまであの男に尽くしてやったのに」と恩着せがましく言っているようにしか聞こえなくなってくる。これでは、男の歓心を買うための出産請負と評価されても文句は言えまい(もしこの通りで、プレゼント感覚で子供を産んでやったのなら外道の仕業である)。
 前にも言ったが、養育義務を負わない旨確認する公正証書まで巻き、男に乞われて子どもを産んでやっただけの人間は出産を請け負っただけの「代理母」である。男に貢いだモノとして子供の存在を主張したのならともかく、パートナー関係が崩壊したときに「子はかすがい」とばかりに親面して持ち出す資格が深見にあるとは到底評価できない。

 都合の良いところだけ子供を利用するあり方も含め、徹頭徹尾自分の都合だけで、自分が周り(特に子供たち)に与えた影響については無頓着というのは単なるワガママであり、その精神的な態度は卑怯と断ぜざるを得ない。
 近代家族主義だのイデオロギーだの他者を攻撃するのも結構であるが、まずはご自分の半生を良いところも悪いところも全て虚心坦懐に見直されるべきだと思う。
(了)

《追記》
 長々と書いてきたが、どうも同じ事の繰り返し・言い直しになっているように思われる。なので、有効な反論がなされるまで沈黙を守ることにする。従って、あとは基本的に読者の評価にお任せする形になるが、議論の判定や評価、その他私の文章の拙さなど何でも構わないので、忌憚のないご意見を是非是非お聞かせ願えたらと思う。

《関連記事》
ダメなもの「パートナー関係」(1)
ダメなもの「パートナー関係」(2)
水曜小論:「私は代理母か」への回答
時代錯誤なんでしょうかね、私?
・深見友紀子のコメントを拝読して

《リンク先》
・深見友紀子「「ダメなものはダメ」日記 ダメなもの「パートナー関係」(2)に対する私のコメント
   『深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

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2005年02月17日

時代錯存なんでしょうかね、私?

 前回の続きである。

深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト』のサイトに新しい記事(「コラム7 金650万円のゆくえ」)が掲載された。
 正直言って、私としては、この件については早くケリをつけたかったので(理由は後述する)、「代理母」「売春」と評したことの責任だけはとろうと時折サイトをチェックしてはいた。
 で、上記コラムが掲載されていたわけである。

 色々書いてあるが、要は元パートナーの親が深見に与えた650万円の意味合いというのは出産の対価ではなく、息子夫婦への「住宅支度金」だったそうで、深見本人としては「出産保険」だったそうである。
 名目はどうあれ、

 男側の「子供が欲しい」という願いをきいてやることが「パートナー婚」という関係を継続する上で重要だったから、「欲しいとは思わな」かった子供を産んでやった。そして、出産にかかる諸補償として金銭を受け取った。

という構図は変わらない以上、結局本件の「出産」という行為は請け負っただけであり、サービスの域を出ないと判断せざるを得ない。従って、上記の記述は撤回しない。

問題の本質ではないとしても看過できないこと

 パートナー関係の一方的解消に対し慰謝料請求を認めるか否かについてであるが、私の結論としては、深見の言う改姓の不利益自体私には全く理解できず(理由はダメなもの「夫婦別姓論」を参照のこと)、従って深見の主張するパートナー関係の正当性そのものが認められないので最高裁の判決を支持する。
 また、婚姻制度や事実婚のあり方などについては興味深いテーマではあるが、今のところそれを突き詰めて論考するだけの余裕も熱意もない。ぶっちゃけ、私は今回の訴訟の最大の争点については(今のところ)どうでもよくなった。

 それに、誤解のないように付け加えておくと、私は深見の自己実現についてはケチをつけるつもりもない。色々ハンデもあるのだろう女性の立場で努力され、大学の教授にまでなられ、ご自身の夢あるいは自己実現を果たされたことは素晴らしいことだと思う。これは嫌みでも何でもなく素直にそう思っている。

 ただ、私が看過できないのは子どもに対する仕打ち、これだけだ。繰り返しになるが敷衍しておく。
 この点深見は仕事があるので育児が難しい母親とも全く違う。子どもが欲しくて産んだけれども仕事の都合で育児の時間がなかなかとれない、というのと、最初から子どもを欲しいと思っていない、というのはスタート地点からして全然別物なのは言うまでもないだろう。
 人間は普通自分を産んでくれた親に愛情を求める。また、親は子を作るかどうかの選択権がある(少なくとも子どもが産まれてくる事に対し責任を負うべき立場にはある)が、子どもは産まれてくる親を選べない。だからこそ、親は子どもに「お前は私たちが望んで生まれた子だ」とその存在を認めて愛情を持って育てる義務がある。そして、それこそが子供を作る者の最低限の義務である。
 クサいと言われようと甘いと言われようと、私はそう固く信じている。

 そんな私にとって、「出産・養育費用は○○が負担、その代わり、○○は私の出産後の生活の面倒は一切みない」という条件で子どもを産むという行為は、母親のすることではない*、それ以前に子どもを産む資格がない、と思ってしまうのだ。

* 本当は「代理母」というのも撤回したいぐらいだ。代理母の中にはその両親のために精一杯慈しみながら子を産む人だっている(代理と名乗る資格のある人はその人たちだけだと思う)。
 それに対して深見は、単に子どもを産むのを請け負っただけではないか。実の我が子を「仕事に差し支える」とパートナー側に引き渡し、そのことに指したる感傷も差し挟まない、そんな女は「出産を請け負った女」ではあっても(実質的な意味での)「人の親」では断じてない。

 まして、実の母が「私は自分で育てるのならば産んでいませんでしたから、放っておくことにしました」などとネット上に書いてしまうことは、絶対に許せない残酷な仕打ちでなくて何だというのだ。この記述を子どもが読んだとき、子どもが自らの存在価値を否定され傷つくのではないかとは考えもしなかったのだろうか?
 また、深見自身が書いているように、父親の方も「自分が責任を持って育てる」といい加減なことを言って子を産みたくない母親をだまくらかして子を産ませ、養育できないからと自分の親や施設に丸投げするいい加減でデタラメな男である。
 私には、このパートナー双方とも子どもを産む資格など無かったと思う

 読者の皆様に伺いたい。私のこの判断はおかしいだろうか? 時代錯誤な理想論を振り回しているだけなのだろうか?

まとめ

 深見がどう生きようと構わないし興味もない。ただ、それとは別に、深見が生きてきた中で自ら腹を痛めて産んだ子たちを傷つけることをしてきた、という事実は厳然として存在することをまず認めるべきだ。
「約束を破ったパートナーが悪い」「夫婦別姓を認めない民法が悪い」「社会が悪い」という事情があったとしても、それは全部深見の都合に過ぎない。子どもからすれば、そういった事情を理由に自らを拒絶し、現在進行形で傷つけるようなことをしているのは深見に他ならない。それとも深見は、「父(パートナー)」と「夫婦別姓の民法」と「社会」が悪い以上、生みの母である深見が子どもを拒絶しその存在価値を否定するようなことを子どもにしても正当化され、子どもはそれを受認しなければならないと思っているのだろうか?

 自己実現を果たした人生は誇っても良い。しかし、その裏で子を犠牲にしたことを原罪として背負え。我が子への仕打ちにすら無自覚な人間が慰謝料請求など図々しいにも程がある。

読んでて苦痛だった

 冒頭で私は「私としては、この件については早くケリをつけたかったので(理由は後述する)」と書いた。最後にそれを書いて終わろうと思う。

 深見の記事・コラムなどを読んでいると、元パートナーの事について文章の端々て貶しているのが目につた。深見が色々男について書いたものを読むたび、「適当なことを言って深見に子どもを産ませるだけ産ませ、その後この養育を親に丸投げしたいい加減な男」という「しょうもない男」のイメージが形成されていった。
 この読み手の印象は深見の執筆意図に合致したものなのだろう。別に元パートナーの男には何の興味もないし、増して同情や擁護など全く考えもしない。ただ、失礼な話、そんなしょうもない男に熱を上げ、そんなしょうもない男の適当な言葉に乗せられて子どもを二人も作った深見も大概しょうもない女性だな、という読後感だけが残った(私の周囲でも男女問わず同様の感想が聞かれた)。
 ときに自分を傷つけてでも世に訴えたいことがあるのなら、それを「みっともない」と否定する気にはなれないし、深見が自分の16年間をネット上でさらけ出すことは自由だと思う。しかし、50を前にした女性が男に捨てられたことの愚痴や、自傷行為のように自らをも貶めるような文章は読んでいて辛かった。そしてそれ以上に、そのために子どもまでが傷つけられるのはあまりに辛すぎる、と思っただけである。

 子どもさんたちに対し失礼かつ傲慢な言い方であることは百も承知の上で敢えて言わせてもらうなら、ええ加減な父親とそんないい加減な父親の口車に乗ってしまった母親の元に産まれさせられ、誕生直後に両親からネグレクトされた子どもたちが(親に恵まれなかったという意味で)心底可哀想でならない。
(了)

《追記》
 読者の皆様へ。是非この文章のご感想をコメント欄にお寄せ下さい
 私なりに親の都合に振り回された子どもたちの立場に立って真摯に、かつ懸命に考えたつもりですが、どこかで自分の考えは独りよがりの傲慢な考え方なのかも知れない、と思ったりもしています。
 皆様が感じたことであれば、ご意見・ご感想・ご批判、何でも構いません。是非お聞かせ下さい。

 あと、タイトルにつきましては「コラム 7.金650万円のゆくえ」の末文に引っかけてのものなんですが、そもそも私なんぞに対して書かれたものではないのではないか、と今になって思ったりしております。やっぱりちょっと自惚れているかもしれませんね…反省。

《関連記事》
ダメなもの「パートナー関係」(1)
ダメなもの「パートナー関係」(2)
水曜小論:「私は代理母か」への回答
・時代錯誤なんでしょうかね、私?
深見友紀子のコメントを拝読して

ダメなもの「夫婦別姓」(1)
ダメなもの「夫婦別姓」(2)

《リンク先》
・深見友紀子「コラム 6.私は代理母か
 〃「コラム 7.金650万円のゆくえ
   『深見友紀子 最高裁 パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

《トラックバック送信先》
・ぶんだば「フェミさん、完敗す(後が怖いぞ)
   『徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて

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2005年02月16日

水曜小論:「私は代理母か」への回答

 以前当ブログで書いたダメなもの「パートナー関係」(2)について、パートナー解消訴訟の原告である深見友紀子のサイトで取り上げられていたのを見つけた(以下、深見からの引用は全て「コラム 6.私は代理母か」からである)。

 記事へ回答する前に、深見の情報公開をする姿勢は率直に評価したい。たとえそれが一方当事者からの一方的な言い分であることを差し引いても、最高裁の判決文でもイメージし難かった事実関係が具体的に理解できる一助となっているからである。
 また、ジェンダーフリー云々と言った活動家ではないと言うことなので、その点についての前言は撤回させて頂く。売春云々という箇所については、深見の主張を待った上、売春に当たらないと判断した場合は撤回させて頂くことにする。

「実質的な親」とは評価できない

 さて、深見のコラムを拝読した上で題にある「私は代理母か」という問いに答えるなら、「はいそうです。あなたを実質的な親だとは評価できない」と言わざるを得ない。

 そもそも、母親に限らず親とは何か。定義自体は色々考えられる。法律上では未成年後見人以外で子に対して親権・監護権等を有する者と定義できるだろうし、事実レベルならいわゆる「血の繋がった」「実の父母」と定義づけられるだろう。
 しかし、私の言う親の定義はこれらの形式的な定義とは違う。親であるかどうかは、その子どもを愛し、慈しんで育てる者という実質面で判断すべきと私は考える。
 この実質面から見た親の定義は社会にも受け入れられるものだと思う。この定義によれば、子どもを虐待する親はたとえ血が繋がっていたとしても実質的には親ではないし、たとえ血が繋がっていなくても、子どもを精一杯愛して育てる者ならば立派な親である。
 以下、簡単に整理しておく。

形式的な親
⇒法律上、未成年後見人でない、子に対して親権・監護権など親としての権利義務を持つもの。また、戸籍上にその旨の記載のあるもの。
⇒事実上、血の繋がったいわゆる「実の父母」のこと。

実質的な親
⇒その子どもを愛し、慈しんで育てる者。

 翻って深見はどうだろうか。

 社会に出るのがとても遅れたため、子どもをもつことなど考えてもいなかった私に「自分が育てるから子どもが欲しい」と○○は執拗に頼んだのです。その執拗さは尋常ではありませんでした。度重なる話し合いの結果、「出産・養育費用は○○が負担、その代わり、○○は私の出産後の生活の面倒は一切みない」という条件で私は子どもを産むことにしました。

 自分で育てるという約束はどうしたの、と問い詰めたことも何度かありましたが、せっかく産んだ子どもの生存が脅かされているわけでもないですし、私は自分で育てるのならば産んでいませんでしたから、放っておくことにしました。

 深見の元パートナーも大概だらしない人で親失格だと思うが、それと深見が親かどうかとは関係がない。深見はただ○○の尋常ではない執拗な頼みに折れて子どもを産んでやっただけではないか。代理母を子どもを作れない人のために出産を請け負うことと見るのなら、深見を代理母と評することがそう見当はずれだとは思わない。

子どもは「親」が育てるべき

 ついでに言っておくと、私は「子どもは母親が育てるべき」とも思っていない。男も女も関係なく、なるべくなら形式的な親が面倒を見るべきと思っているだけである。自分たちが産んだんだから、それを育てるのは当たり前だろう。
 色々な事情があって(子から見た)祖父母に預けたりする家があっても仕方ないと思うし、そちらの方がこのためになる場合もあるだろうが、「自分が育てる」などと適当なことを言うだけ言って自分の母に子の養育を丸投げする男親と、「私は頼まれたから産んだだけ」と養育を否定する女親は、双方とも最低の部類に入るのではないか。少なくとも、後者の女親が判決後に「今回は子供までいるのに法的保護を与えないと判断しており、憤りを感じる」などと憤りを感じる資格はない。

それは子どもに対してあまりに残酷な仕打ちではないか?

 冒頭で深見はこう書いている。

 自身の狭い経験に基づき他人の人生を推し量ろうとしても限界があるということでしょう。

 私の狭い人生経験を揶揄されたことには「そうですか、すみません」としか言いようがないが、長女の出生について私が、

 判決には詳細な事情が記載されていないので憶測になるが、第一子(長女)について多少好意的に推測するなら、Y男の親が「孫が欲しい」と切望していたのかも知れない。Y男の親が出産後、X女に対し出産費用等として約650万円も支払っていることや、長女がY男の母の手で養育されていること、Y男とA女の結婚後長男はY男に引き取られているのに対し、長女はY男の母と二人暮らしを続けていることから私はそう考えた。

と推測したのは、長女が祖母の下で育ったことについて、祖母に切望されて誕生し、祖母の喜びと愛情の下で育てられていて欲しい、という願望があったからだ。というか、長女のことを考えると「母親は父親に懇願されて仕方なく産むのを請け負っただけ、父親の方はいざ生まれてみると子育てが面倒になり自分の母に押しつけた」と邪魔者かお荷物のような推測など書けるわけがない
 でも、長女の生みの親である深見はそれを裁判の場で公にし、その後もネットの場で書いてしまっている。自分の正当性を主張するために子どもを傷つけるような残酷なこともやってしまう深見の行為は正直信じられない。
 深見が全てを覚悟してやっているというのなら、それはそれである意味見上げた態度ではあるが、「あなたに親面する資格はない」と批判することをやめるつもりもない。
(了)

《関連記事》
ダメなもの「パートナー関係」(1)
ダメなもの「パートナー関係」(2)
・水曜小論:「私は代理母か」への回答
時代錯誤なんでしょうかね、私?
深見友紀子のコメントを拝読して

《リンク先》
・深見友紀子「コラム 6.私は代理母か
   『深見友紀子 最高裁 パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

《トラックバック送信先》
・エイサク「パートナー解消訴訟4
   『歌うたいのカケラ

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2004年11月22日

ダメなもの「パートナー関係」(2)

 前回の事案について、私の考えを述べる。(1)を読んでいらっしゃらない読者は先にそちらをお読み頂きたい。

不憫なのは子供

 私がこの判決文を読んでまず感じたのは、子供があまりにも不憫だということである。
 子供たちの立場に立つと、X女の「自分の仕事のじゃまになるから」と養育を放棄する行為は、「お前は私にとっては邪魔者でしかない」と言われているに等しい。
 こんな残酷な話があるだろうか。自分を生んでくれた母親に自分の存在を否定されるのである。もし私がX女の子供だったら、母であるX女を絶対に許さない。
 ただ、彼らが望まれずに生まれてきたとは思わない。
 判決には詳細な事情が記載されていないので憶測になるが、第一子(長女)について多少好意的に推測するなら、Y男の親が「孫が欲しい」と切望していたのかも知れない。Y男の親が出産後、X女に対し出産費用等として約650万円も支払っていることや、長女がY男の母の手で養育されていること、Y男とA女の結婚後長男はY男に引き取られているのに対し、長女はY男の母と二人暮らしを続けていることから私はそう考えた。
 長男の方については詳しい事情が書いていないのでよくわからない。生まれてからY男がA女と結婚するまで施設で養育されていたというのは一見すると驚いてしまうが、一卵性双生児一方が死亡するという異常出産ということなどから考えると、ひょっとしたら長男の方は病気なり障害なりを抱えていたのかも知れない。我が子を施設で養育すること自体、よほどの理由があったと思いたい。
 細かい事情はわからないが、母親には恵まれなかったとしても、長女はY男やY男の母に、長男はY男に望まれて生まれてきたのは確かだと思う(そう信じたい)。だから、どうか母の愛の欠如に腐らず健やかに育ってほしい。そう心から願わずにはいられない。

「ジェンダーフリー」の旗手*が体売っちゃまずいだろう

 気になるのは、子供を出産したことについて「出産費用」を受け取っていることである。単に出産にかかる経費を男性の負担としたのならともかく、長女出産の際にY男の親から受け取っている650万円は一体何を意味するのだろう。
 子供を産むときに650万円もかかるものなのかどうかは知らないが、もしこれが出産という行為についての対価だとするなら、これは金で出産を請け負ったことに他ならない
 金で体を売ることがたとえ女性の同意があったとしても女性の尊厳を侵すものだとするなら、自分は産みたくもない子供を「(特別な)他人」のために産んでやり、その上金まで取る行為は、女性の尊厳を著しく侵す最低の蛮行である。

* 《追記》
 これについてはX女ご本人がサイトで「私は女性学の研究家でもフェミニズムの運動家でもありません」とコメントされていらっしゃるので、「ジェンダーフリー」の旗手という表現については謝罪し撤回させて頂く。大学でジェンダー論の講義なども担当なさっていたことからするとジェンダーフリー論者かどうかという点ではともかく、本訴訟についてはジェンダーフリーの議論が本筋ではないので、こういう評価をする必要性がないと判断したためである。

都合の良いときだけ子供を利用する卑怯さ

 私が「ふざけるな」と思ったのが、敗訴後のX女のコメントである。

 旧来型の内縁の夫婦だけでなく、お互いの職業上の理由から別居し、婚姻届を出さない事実婚を選ぶ夫婦は増えている。今回は子供までいるのに法的保護を与えないと判断しており、憤りを感じる。今後さまざまな媒体を通じて問題点を指摘していく。
 (『毎日新聞』)

 子供が自分にとって邪魔者でしかないとY男に養育の全てを押しつけ自分の養育義務を逃れてきたくせに、今になって子供を持ち出すのは卑怯である。私がX女の子供なら「お前に親面する資格はない!」と暴れていると思う。
 こういう意見に対しては、「何だかんだ言ったって女性は自分のお腹を痛めて産んだんだから」という反論があるかも知れない。しかし、敢えて言うがたかが子供を産んだくらいで親面されたら子供としてはたまったものではない。子供を産むこと「だけ」がそんなに偉いのか? 断じて違うと私は思う。
 親というのは、我が子を愛情を注いで育てることによって「なってゆく」ものである。少なくとも、生まれてくる子を仕事の邪魔者としか見ず、男に養育の全てを押しつけてきた人間がなれるものでないことだけは断言できる。
「生みの親より育ての親」という言葉がある。親子の感情は時間をかけて形成していくものであるから、まさにその通りだと思う。「子はかすがい」という言葉がある。ならば、自らかすがいを抜いて相手に預けた以上、接合部が外れたときにかすがいを持ち出すこと自体おかしな話ではないか。

小括

 以上では子供のことを中心に論じてきた。これは、この事案で一番の被害者はX女でもY男でもなく、子供たちだと思ったからである。親のインチキ思想の実験にされ*、「仕事の邪魔」と見なされた彼らが一番同情すべき存在であろう。

* 《追記》
 これについてはX女ご本人がサイトで「私は女性学の研究家でもフェミニズムの運動家でもありません」とコメントされていらっしゃるので、親のインチキ思想の実験にされという表現については謝罪し撤回させて頂く。

 X女に対して心底うんざりしたのは、彼女が徹頭徹尾自分のこと(自己実現)にしか興味がない点である。そういう生き方を否定する(止めさせる)権利は私にないが、自立した生き方とやらが他人はおろか我が子までを犠牲にしなければ成り立ちえないものならば、私には到底それを肯定的に評価することはできない。はっきり言って私にはエゴ丸出しの醜悪な生き方としか映らない。

 パートナー関係について法的保護を与えるべきかどうかについては、書こうとするたびに考えが揺れ、自分の中ではっきりした結論がまだ出ていない。だから、この判決の法律的な「肝」についてはちょっとペンディングさせて頂く。
(この項つづく)

《関連記事》
ダメなもの「パートナー関係」(1)
・ダメなもの「パートナー関係」(2)
水曜小論:「私は代理母か」への回答
時代錯誤なんでしょうかね、私?
深見友紀子のコメントを拝読して

《リンク先》
・「女性の慰謝料請求を認めず パートナー解消で最高裁」
   『毎日新聞

《トラックバック送信先》
・おとこのおばさん「女性の慰謝料請求を認めず パートナー解消で最高裁
   『おとこのおばさん
・エイサク「パートナー解消訴訟?
   『歌うたいのカケラ

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2004年11月19日

ダメなもの「パートナー関係」(1)

《前書き》
 前にご紹介した「Peace Powers!」について。今日当該ブログを見たところ、サブタイトルが「平和憲法の香ばしさを伝えたいちきゅう市民の声。」となっていた。前は確か「平和憲法の素晴らしさを伝えたいちきゅう市民の声。」だったと思うんだが…
 ってか、この人、わざとやってたの? 「香ばしい」という表現を用いている以上多分そうなんだろうけど…釣るのが目的?(で、私はきっちり釣られたと言うことでしょうか?)

 以下は本文。


 いつも巡回しているサイト『おとこのおばさん』で興味深い記事を見つけた。
 16年間続いた「パートナー関係」を一方的に解消されたとして女性側が男性側に慰謝料請求したという事件に最高裁判決が下った(最高裁判決毎日新聞の記事)。今回はこの問題について考えてみたい(私も一応法曹の卵だし)。
 問題検討の前提として、今回は事案を読みやすくまとめたものを掲載する。分量の関係から、私の見解はこちらに掲載してある。

事案

 最高裁の判決文にある事案を少し読みやすくまとめて以下に掲載する。少々長いとは思うがご了承頂きたい。
 まず登場人物は、X女(原告・被上告人)とY男(被告・上告人)、ふたりの間に出来た長女(姉)と長男(弟)、そして後にY男と結婚するA女である。

(1)パートナー関係について

 X女とY男とは、X女がが大学4年生であった昭和60年11月に結婚相談所を通じて知り合い、その1か月後には婚約、翌年3月に入籍の予定であったが、同月ころ婚約を解消。ただ、お互いにとって大切な人であることにはかわりはないため、「スープの冷めないぐらいの近距離に住み、特別の他人として、親交を深める」(本件にいわゆる パートナー関係)を始め、昭和61年にY男がX女の近所に引っ越してきてからは双方が互いの家を行き来するようになり、それは平成2年4月にY男が同じ東京都内の自宅に転居してからも継続されていた。
 もっとも、Y男とX女とは、その住居は飽くまでも別々であって同居をしたことはなく合鍵を持ち合うことも、Y男がX女宅に泊まったときに一緒に食事をすることもなく、また、生計も全く別で、それぞれが自己の生計の維持管理をしており、共有する財産もなかった

(2)長女について

 X女は出産には消極的であったが、Y男が子供を持つことを強く望んだため、両者の間でY男が出産に関する費用及び子供の養育について全面的に責任を持つという約束をした上で、X女は平成元年6月6日、Y男との間の長女を出産した。
 Y男とX女は、長女の出産に際しては、子供が法律上不利益を受けることがないようにとの配慮等から、その出生の日に婚姻の届出をし、同年9月26日に協議離婚の届出をした。
 また、X女は、上記の約束に基づき妊娠及び出産の際の通院費・医療関係費及び雑費等をY男に請求して受領したほか、Y男の親から出産費用等として約650万円を受け取った
 上記の約束に基づき、長女は出生後、Y男の母に引き取られ、その下で養育され、X女がその養育にかかわることはなかった。現在も長女はY男の母と2人で暮らしている。

(3)長男について

 X女は、平成5年2月10日、Y男との間の長男を出産した。長男の出産は、一卵性双生児の一方が出産後間もなく死亡するという異常出産で、X女自身も一時的に危篤状態に陥り2か月間入院した。
 その出産に先立ち、X女が、生まれてくる子供の養育の負担により自分の仕事が犠牲にならないようにするため子供の養育の放棄を要望したことから、Y男とX女とは、平成4年11月17日、X女及びその家族が出産後の子供の養育についての労力的、経済的な負担等の一切の負担を免れることをY男は保障すること、X女はY男が決定する子供の養育内容について一切異議を申し立てないこと等の取決めを行い、その取決めを記載した書面に公証人役場において公証人の確定日付を受けた。また、 X女は、長男の出産の際にも、Y男から相当額の出産費用等を受け取っており、両者は、長女の場合と同様の配慮から、長男の出生の届出をした日(平成5年2月19日)に婚姻の届出をし、同月23日に協議離婚の届出をした。
 長男は、上記取決めに基づきY男に引き取られたが、Y男の判断で施設に預けられて同施設で養育され、X女がその養育にかかわることは全くなかった。その後、Y男がA女と婚姻したことにより、長男は平成14年3月にY男らの下に引き取られた。

(4)長男出産後のX女・Y男の関係、及びY男とA女との出会い

 長男の出産の前後においてY男とX女との関係が悪化した。Y男のX女に対する暴力行為やY男によるX女宅の玄関ドアの損壊などがあり、出産後、両者は半年間ほど絶交状態にあった。
 しかし、その後関係が修復し、Y男がX女の原稿の校正を行ったり、X女の研究分野に関する資料を送付したり、一緒に旅行をするなどしていた。また、X女は、平成8年頃から某大学教育学部の助教授として勤務するようになったが、Y男は、X女が某市内にアパートを借りるに当たって連帯保証人となったり、 X女が同大学で「ジェンダー論」の講義をするに際し、X女の求めに応じて講義資料として自己の戸籍謄本を提供したり、学生にメッセージを寄せるなどの協力をした。
 A女は大学の通信教育で学びながらY男の勤務する百貨店でアルバイトをしていたが、平成12年頃にY男と知り合い、思いを寄せるようになった。A女は上記アルバイトを辞め、別の会社に勤めた後もY男との交際を続けた。A女は平成13年4月30日、Y男宅を訪れてY男と話合いをし、Y男とX女との間に2人の子供がいることを理解した上で、Y男との結婚を決意した。

(5)パートナー関係の解消・婚姻

 Y男とX女とは、平成13年5月の連休に、一緒に京都旅行に行くことにしていたが、Y男がこれをキャンセルし、X女は一人で旅行に出かけた。同月2日、Y男は、京都旅行から東京に帰ってきたX女に対し、東京駅において、今後は今までのような関係を持つことはできない旨等を記載した手紙を手渡すとともに、他の女性と結婚する旨を告げ、X女との関係を解消した。
 Y男とA女は、同年7月18日、婚姻の届出をした。

(6)X女による慰謝料請求の訴え

 X女はY男に対し、Y男が突然かつ一方的に両者の間の「パートナーシップ関係」の解消を通告し、Aと婚姻したことが不法行為に当たると主張して、これによってX女が被った精神的損害の賠償を求めた。

 以上が事案である。ちょっと長かったので読むのに骨が折れたかも知れないが、これでも最高裁判決よりは多少とも読みやすくなったはずだと自負している(余力があれば最高裁判決の方も是非お読み頂きたい)。

判決

 これに対して判決では以下のように判断している。
 結論だけ言えば、高裁ではX女の慰謝料請求を認める判決を下しているが、最高裁ではその判断を覆し、X女の請求を棄却している
 なお、ここでも読みやすさを考慮して手を入れたことをお断りしておく。

(1)高裁の判断

 Y男ととX女との関係は婚姻届を提出せず、法律婚として法の保護を受けることを拒否し、互いの同居義務・扶助義務も否定するという、通常の婚姻ないし内縁関係の実質を欠くものであったことが認められる。そのような関係は、その維持を専ら両者の自由な意思のみにゆだねるものであり、法的な拘束性を伴うものではないと解されるから、その解消に当たっては、互いに損害賠償責任を生ぜしめるものではないと解する余地もあり得る。
 しかしながら、Y男とX女とは、両者が知り合った昭和60年から平成13年に至るまでの約16年間にわたり、上記のような関係を継続してきたものであり、その間、二人の子供をもうけ、時に互いの仕事について協力し、一緒に旅行をすることもあること等、互いに生活上の「特別の他人」としての立場を保持してきたこともまた認められる。
 そうすると、上記のような(特に「しかしながら??」以降の)事情を含む本件の場合において、Y男がX女との格別の話合いもなく、平成13年5月2日、突然上記の関係を一方的に破棄し、それを破たんさせるに至ったことについては、X女における関係継続についての期待を一方的に裏切るものであって、相当とは認め難い。
 したがって、Y男は、X女に対し、不法行為責任を免れ難い。

(2)最高裁の判断

 しかしながら、原審(高裁)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 前記の事実関係によれば、以下の事情が明らかである。
(ア) Y男とX女との関係は、昭和60年から平成13年に至るまでの約16年間にわたるものであり、両者の間には二人の子供が生まれ、時には仕事の面で相互に協力をしたり、一緒に旅行をすることもあったこと。
 しかしながら、
(イ) 上記の期間中、両者はその住居を異にしており、共同生活をしたことは全くなく、それぞれが自己の生計を維持管理しており、共有する財産もなかったこと。
(ウ) X女はY男との間に2人の子供を出産したが、子供の養育の負担を免れたいとのX女の要望に基づく両者の事前の取決め等に従い、X女は二人の子供の養育には一切かかわりを持っていないこと。そして、X女は出産の際にはY男側から出産費用等として相当額の金員をその都度受領していること
(エ) Y男とX女は、出産の際に婚姻の届出をし、出産後に協議離婚の届出をすることを繰り返しているが、これは生まれてくる子供が法律上不利益を受けることがないようにとの配慮等によるものであって、昭和61年3月に両者が婚約を解消して以降、両者の間に民法所定の婚姻をする旨の意思の合致が存したことはなく、かえって 両者は意図的に婚姻を回避していること
(オ) Y男とX女との間において、上記の関係に関し、その一方が相手方に無断で相手方以外の者と婚姻をするなどして上記の関係から離脱してはならない旨の関係存続に関する合意がされた形跡はないこと。
 以上の諸点に照らすと、Y男とX女との間の上記関係については、婚姻及びこれに準ずるものと同様の存続の保障を認める余地がないことはもとより、上記関係の存続に関し、Y男がX女に対して何らかの法的な義務を負うものと解することはできず、X女が上記関係の存続に関する法的な権利ないし利益を有するものとはいえない。そうすると、Y男が長年続いたX女との上記関係を前記のような方法で突然かつ一方的に解消し、他の女性と婚姻するに至ったことについてX女が不満を抱くことは理解し得ないではないが、Y男の上記行為をもって、慰謝料請求権の発生を肯認し得る不法行為と評価することはできないものというべきである。

判決に対するコメント

 以下は『毎日新聞』より。同じく一部手を入れている。

(1)X女(原告)のコメント

 旧来型の内縁の夫婦だけでなく、お互いの職業上の理由から別居し、婚姻届を出さない事実婚を選ぶ夫婦は増えている。今回は子供までいるのに法的保護を与えないと判断しており、憤りを感じる。今後さまざまな媒体を通じて問題点を指摘していく。

(2)専門家のコメント

早稲田大学大学院法務研究科の棚村政行教授(民法・家族法)
 最近増えている新しい男女関係に関する初判断で影響は大きい。同居せず、自立し、家計も別々な割り切った男女関係の一方的な解消について、単なる恋愛関係と同じく法的保護の必要性はないと切り捨てる判断と言える。
 しかし、男女関係の多様化が進む中、保護される生活利益や経済的利益を不当に害されたかどうかを個別的に検討すべきではないか。今回のケースでは、精神的なつながりや16年も関係が続いた特別な点などを、より考慮する余地があると思う。

(この項つづく)

《関連記事》
・ダメなもの「パートナー関係」(1)
ダメなもの「パートナー関係」(2)
水曜小論:「私は代理母か」への回答
時代錯誤なんでしょうかね、私?
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・「女性の慰謝料請求を認めず パートナー解消で最高裁」
   『毎日新聞
・最高裁判所「最高裁平成16年11月18日第一小法廷判決

《トラックバック送信先》
・おとこのおばさん「女性の慰謝料請求を認めず パートナー解消で最高裁
   『おとこのおばさん
・エイサク「パートナー解消訴訟?
   『歌うたいのカケラ
・ぶんだば「フェミさん、完敗す(後が怖いぞ)
   『徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて

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